八坂神社(新久)。入間市新久の神社

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八坂神社(新久)。龍圓寺の鬼門除けとして創建、新久の鎮守

八坂神社(新久)の概要

八坂神社(新久)は、入間市新久にある八坂神社(新久)です。八坂神社(新久)の創建年代等は不詳ながら、建仁年間(1201-1204)に創建した龍圓寺の鬼門除けとして祀られたといいます。江戸期を通して新久村の鎮守社として祀られ、明治5年村社に列格、大正5年神饌幣帛料供進神社に指定されたといいます。

八坂神社(新久)
八坂神社(新久)の概要
社号 八坂神社
祭神 素盞鳴命
相殿 大己貴尊、櫛稲田姫尊
境内社 -
祭日 -
住所 入間市新久948
備考 旧村社



八坂神社(新久)の由緒

八坂神社(新久)の創建年代等は不詳ながら、建仁年間(1201-1204)に創建した龍圓寺の鬼門除けとして祀られたといいます。江戸期を通して新久村の鎮守社として祀られ、明治5年村社に列格、大正5年神饌幣帛料供進神社に指定されたといいます。

新編武蔵風土記稿による八坂神社(新久)の由緒

(新久村附新田)
天王社
當所の鎮守なり
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金山権現社
八幡社
神明社
以上の四社、村内龍圓寺の持。
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愛宕社
子の神社
村の持。(新編武蔵風土記稿より)

境内石碑による八坂神社(新久)の由緒

新久八坂神社改築記念碑
由緒 本社は創立年月日不詳、真言宗龍岳山歓喜院龍圓寺(建仁元年草庵を結んだ寂蓮法師が千手観音像を安置と伝う)の表鬼門除けとしてこの地に祭祀される。旧来牛頭天王と称したるを明治維新に至り八坂神社と改称、明治五年社格制定の節産土神であることから村社に列せらる。これを機会に氏子から浄財を募り明治拾五年に本殿を、明治四拾五年に拝殿を改築、大正五年神饌幣帛料供進村社に指定される。昭和弐拾五年宗教法人として境内地譲与される。本殿は百弐拾年、拝殿は九拾年を経過し老朽化したため平成拾五年氏子の総意により広く浄財を募り改築することに決定す。
平成拾六年壱月竣工す。(境内石碑より)

「埼玉の神社」による八坂神社(新久)の由緒

八坂神社<入間市新久九四八(新久字八坂ノ前)>
当地は入間市中央部、霞川流域の低地・丘陵に位置する。地名の新久は新開墾の意味であり、当地名も新田開発にちなむものと思われる。当社は、この地内の金子坂と称する道を登りつめた新久の上にあり、集落を見下ろすように鎮座する。
由緒は『明細帳』に「創立年月不詳旧来牛頭天王ト称セシカ御一新ニ至リ当今ノ社号ニ改称ス明治五年社格御定制ノ節産土神タルヲ以テ村社ニ列セラル」と載せる。さらに口碑に「竜円寺の鬼門除けとして丑寅(北東)・未申(西南)の方角に牛頭天王・浅間社をそれぞれ祭祀した」とある。真言宗竜岳山観喜院竜円寺は、建仁年間のころこの地に草庵を結んだ寂蓮法師が、千手観音像を安置したのに始まるといわれ、その後、宝永六年に入寂した法印俊誉が中興となっている。
以上のことから建仁年間以降竜円寺が整備されるに従って、牛頭天王も表鬼門除けとして祭祀したものと考えられる。
明治初めの神仏分離により竜円寺の管理を離れたが、夏祭りである天王様は現在でも寺の境内を祭場とするのが慣例とされ、神仏習合時代の名残を留めている。
祭神は『明細帳』に「素盞鳴命」一柱のみを載せるが、現在、切妻造り平入形式の本殿には、内陣を三室に分け、中央に素盞鳴尊を祀り、向かって右に大己貴尊、左に櫛稲田姫尊を配祀している。(「埼玉の神社」より)


八坂神社(新久)の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿