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桂川神社。入間市木蓮寺の神社、旧村社

桂川神社の概要

桂川神社は、入間市木蓮寺にある神社です。桂川神社は、瑞泉院を開基した金子十郎家忠(建保4年1216年卒、法名瑞泉院雄翁道英)が屋敷の鬼門除けとして赤城明神社を勧請したのではないかといい、江戸期には木蓮寺村の鎮守社となっていました。明治5年村社に列格、大正4年南峯泉蔵院の山上に鎮座していた村社雷電神社を合祀、桂川神社と改号したといいます。

桂川神社
桂川神社の概要
社号 桂川神社
祭神 豊城入彦命、豊城入姫命、彦狭島命、別雷命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 入間市木蓮寺878
備考 旧村社



桂川神社の由緒

桂川神社は、瑞泉院を開基した金子十郎家忠(建保4年1216年卒、法名瑞泉院雄翁道英)が屋敷の鬼門除けとして赤城明神社を勧請したのではないかといい、江戸期には木蓮寺村の鎮守社となっていました。明治5年村社に列格、大正4年南峯泉蔵院の山上に鎮座していた村社雷電神社を合祀、桂川神社と改号したといいます。

新編武蔵風土記稿による桂川神社の由緒

(木蓮寺村)
赤城明神社
當所の鎮守にて、村内福昌寺・瑞泉院兩寺の持なり。
末社。稲荷社、天王社。
(峰村)
雷電社
泉蔵院の持。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による桂川神社の由緒

大正四年五月八日大字南峯字西加根古村社雷電神社と大字木蓮寺字元狭山村社赤城神社と合祀の上桂川神社と称す。大正五年七月弐拾四日地収第参五四ノ弐を以て神饌幣帛料供進指定村社に指定せらる。(境内掲示より)

「埼玉の神社」による桂川神社の由緒

桂川神社 <入間市木蓮寺八七八(木蓮寺字元狭山)>
当地は、水田は少なく陸田が多い干損の地で、村名の由来は地内の曹洞宗瑞泉院をかつて木蓮寺と号していたことによる。この村は北に向かって勾配が増し、南は比較的平坦な地形をしている。北側の加治丘陵の麓には草分けの家が点在し、当社もここに鎮座している。
創立については、豊かな水を望む村人の発願により、上州の赤城神社から勧請したものといわれる。また、別当が瑞泉院で、その開基が時の地頭、金子十郎家忠であることから、家忠の屋敷の鬼門に当社を建立したともいわれている。
祭神は豊城入彦命・豊城入姫命・大己貴命・彦狭島命である。本殿は一間社流造りであり、社記によると造営は享保年中である。
明治初めの神仏分離により社名を赤城明神社から赤城神社に改めた。また、明治五年には、永く村鎮守であったことによって村社となった。大正四年には、大字南峯の雷電社を合祀し、さらに社名を村の中央を流れる川にちなんで桂川神社と改めた。ちなみに桂川の名は、当地方の古い呼び名が″かつらのさと″であったことによる。雷電社は、通称官林山の辺りから雷雲がわき上がることから雨をもたらす神として、更には雷除けの神として信仰される。旧社地は泉蔵院の上の山にあり、神仏分離によって西金子に移転し、更に当社に合祀されたものである。(「埼玉の神社」より)


桂川神社の周辺図




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