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三輪神社。入間市中神の神社

三輪神社の概要

三輪神社は、入間市中神にある三輪神社です。三輪神社の創建年代等は不詳ながら、かつて当地に翁と媼が住んでおり、琵琶を弾いていたことから、村人が彼らを国津神と唱え、当地を中神村と現社地辺りを比和野と呼ぶようになったといいます。藤原秀郷が承平6年(936)に当地を訪れた際に、比和大明神と称して社殿を建立、以後当地の領主より崇敬を受け、万治3年(1660)には三輪大明神を相殿に勧請し、社号を三輪大明神と改めたといいます。

三輪神社
三輪神社の概要
社号 三輪神社
祭神 大物主櫛甕玉命
相殿 宇賀彦命・宇賀姫命
境内社 神明神社・愛宕神社
祭日 -
住所 入間市中神345
備考 -



三輪神社の由緒

三輪神社の創建年代等は不詳ながら、かつて当地に翁と媼が住んでおり、琵琶を弾いていたことから、村人が彼らを国津神と唱え、当地を中神村と現社地辺りを比和野と呼ぶようになったといいます。藤原秀郷が承平6年(936)に当地を訪れた際に、比和大明神と称して社殿を建立、以後当地の領主より崇敬を受け、万治3年(1660)には三輪大明神を相殿に勧請し、社号を三輪大明神と改めたといいます。

新編武蔵風土記稿による三輪神社の由緒

(中神村)
三輪明神社
新久・根岸・中神三村の惣鎮守なり、往古は琵琶明神と唱へしが、萬治年中吉田家より命じて、今の如く改めし由、その所以はしらず、神司の説に當社は宇賀彦・宇賀姫の二神を合殿とし、琵琶明神とはいへりと、縁起に往昔老翁婆常に此地に来り、相共に琵琶を弾ぜしかば、村民共に是を國津神と呼べり、因て此村名を得たる由、又朱雀院の御宇承平六年鎮守府将軍秀郷、田獵の折から此地を過り、琵琶の音を聞、その所に至て見れば白髭の翁なり、秀郷怪みて問ひしに、吾等は宇賀彦・宇賀姫なり、豊熟を祈り民の安堵を護れるなりと云ひし故、秀郷新に此一宇を建立せりと云り、此社傳は取べき事に非れども、姑く其傳るままを記せり、神職枝久保近江慶安の頃より世々神職たりと云。
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愛宕社
村内豊泉寺の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による三輪神社の由緒

三輪神社<入間市中神三四五(中神字坂上)>
桂荘一一ヵ村は、加治丘陵の南麓を流れる桂川(現霞川)に沿うように集落が分布し、これらを結ぶ通りは根通りと呼ばれ、川越と青梅を結ぶ御嶽道であった。
当地は、この旧桂荘の中央にあり、南北に細長く、北は丘陵となり、中程には集落、南には茶畑が広がる。さらに南の陸軍飛行場跡には開墾地として戦後他所から移り住む者が多かった。
当地には、古代、幾百歳という翁と媼が住んでおり、琵琶を弾いていたことから、村人がこれを敬い、国津神と唱えた。故に当地を中神村と呼び、現社地辺りを比和野というようになった。
その後、承平六年九月藤原秀郷が、この地に狩を催した折、琵琶の音を聞き、人を遣わし探させたところ、翁と媼であった。秀郷の問いに、翁は「宇賀彦宇賀姫也五穀守護としてここに遊べり」と答えた。これより当地に社を祀り、比和大明神と唱えたという。また、建久年中には金子十郎家忠の信仰が厚く、当社に武運長久を祈願した。文明四年、東国の大干ばつに際し、足利将軍源義政により住民に米銭が施された。この時、大破した当社は代官により補修された。次いで正保・慶安のころ、当社祠官枝窪家四代右京大夫藤原忠国は、当社の荒廃を憂え、時の県守の神保四郎右衛橘政利に計り、助成を受け、更に、新久・根岸・中神の三ヵ村の氏子二五名からも寄進を募り、万治二年二月に再興なった。翌三年二月、大和国三輪大明神を相殿に勧請し、社号を三輪大明神と改めた。現在、主祭神は大物主櫛甕玉命で、宇賀彦命・宇賀姫命を配祀する。
本殿裏にある朱塗りの社には神明神社と愛宕神社が祀られているが、これらは昔、中神の北にある共有林にあった愛宕神社と、その境内石宮であった神明神社を、大正元年の本殿新造に伴い、旧本殿を後方に下げて、この中に合祀した。また、現在、本殿は東を向いて建っているが、旧本殿は富士山を背に東北東を向いていたという。
祀職は、室町後期の枝窪大和守藤原義国を初代とする枝窪家が代々神職を務め、現在一六代目に当たる枝窪邦康が奉仕する。
枝窪家系図によると、初代義国が天文一二年一〇月に明神ノ内宮を納めたことが記されており、現在、本殿には、この時納められたと思われる腐朽した男女の神像を安置している。
また、初代義国が、大和から当地に下る時に守り本尊として持ってきたと伝えられる薬師三尊像が枝窪家邸内の一隅に祀られているが、近年までは同地にあった薬師堂に祀られていたものである。この薬師堂は一二日が縁日とされ、眼病などの平癒祈願の参拝も多かったという。そのころは、当地から青梅まで七つの薬師堂があったことから、七薬師として信仰を受けていた。(「埼玉の神社」より)


三輪神社所蔵の文化財

  • 三輪神社の天井絵、幟原書および旧本殿付幟、旧本殿棟札(市指定有形文化財)

三輪神社の天井絵、幟原書および旧本殿付幟、旧本殿棟札

三輪神社の天井絵は、万延元年(一八六〇)に拝殿を改築したときに小沢翠岳が拝殿天井一面に昇る竜を描いた雲竜の墨絵である。天井には、「茶寿軒印」「翠岳」の落款(印)が描かれている。
幟原書は、三枚残されている。このうち二枚は一対として明治二十年(一八八七)に山岡鐡太郎(山岡鉄舟)の揮毫(文字)により作られたもので、この原書の一方には「神恩抱大化 明治二十年九月 中神村 正四位山岡鐡太郎謹書」と書かれている。山岡鉄舟の揮毫による幟原書としては市内唯一のものである。
残りの一枚の原書は、「三輪大明神廣前 文政十三年歳次庚寅八月上澣 新久 根岸 中神 氏子中」と書かれ、文政十三年(一八三〇)に新久、根岸、中神の氏子によって作られたものである。
神社の旧本殿は、間口一・〇二メートル、奥行一・〇六メートル、棟高三・一メートルの一間社流造で、江戸初期に見られる様式をもっている。
付の幟は、昭和七年に作り直された二枚一対のもので山岡鉄舟揮毫の幟原書と同じ銘(文)をもち、更にそれぞれ関防印と「藤原高歩」の白文、「昭和七年秋再調」の朱文が記されている。三輪神社祭礼にはこの幟が掲げられている。
付の旧本殿棟札は、万治二年(一六五九)の紀年銘をもち神社建立の由来が記されている。(入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会掲示より)

三輪神社の周辺図


参考資料
  • 新編武蔵風土記稿