白鬚神社(野田)。入間市野田の神社

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白鬚神社(野田)。三浦城之助義澄が寛元元年に勧請

白鬚神社(野田)の概要

白鬚神社(野田)は、入間市野田にある白鬚神社(野田)です。白鬚神社(野田)は、三浦城之助義澄が寛元元年(1243)に勧請したと伝えられ、江戸期には野田村の鎮守社だったといいます。明治2年、円照寺境内の丹生神社・厳島神社を合祀し、明治5年村社となり、明治40年に字込塚の八幡神社、明治41年に字中池ノ上の八坂神社、同境内社の浅間神社・水神社を合祀しています。

白鬚神社(野田)
白鬚神社(野田)の概要
社号 白鬚神社
祭神 猿田彦命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 入間市野田562-1
備考 旧村社



白鬚神社(野田)の由緒

白鬚神社(野田)は、三浦城之助義澄が寛元元年(1243)に勧請したと伝えられ、江戸期には野田村の鎮守社だったといいます。明治2年、円照寺境内の丹生神社・厳島神社を合祀し、明治5年村社となり、明治40年に字込塚の八幡神社、明治41年に字中池ノ上の八坂神社、同境内社の浅間神社・水神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による白鬚神社(野田)の由緒

(野田村)白髭社
村の鎮守なり、例祭三月十五日九月十九日なり、本山修験。寶正寺の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による白鬚神社(野田)の由緒

白鬚神社<入間市野田五六二-一(野田字中郷)>
入間市北部に位置する野田は、南を流れる入間川により形成された砂礫の混じる水はけの良い土壌で、その地名は武蔵七党丹党の野田氏が開拓したことに由来するという。白髭神社は川の近くに祀られている例が多く、当社も同様に入間川左岸に鎮まる。
当社の創建は寛元元年(一二四三)であると伝えられ、三浦城之助義澄なる者による勧請という。一方、口碑によると当社は高杉一家の屋敷鎮守であったが、いつのころからか高杉一家で維持することができなくなり、野田に鎮守がなかったことから総鎮守として祀られるようになったという。
『風土記稿』によると村の鎮守とされ、本山修験の篠井村観音堂配下の宝正寺が別当を務めていた。
明治初めの神仏分離によりその管理を離れ、これに伴い、明治二年、円照寺境内の丹生神社・厳島神社を合祀し、同五年に村社となる。更に同四〇年には字込塚の八幡神社、同四一年には字中池ノ上の八坂神社、同境内社の浅間神社・水神社を合祀した。
主祭神は猿田彦命であり、神明造りの本殿は寛永一〇年の再建である。(「埼玉の神社」より)


白鬚神社(野田)所蔵の文化財

  • 野田ばやし(市指定無形民俗文化財)

野田ばやし

野田ばやしは、野田地区に伝わる祭り屋台囃子である。その起源は、明治十五年に地区の若者六名が神田明神で一ヶ月間泊り込みで習得したものを、野田の地に広めたことによると伝えられている。流儀は神田流馬流である。
なお、囃子で使用される太鼓の内側には、皮を張り替える際に、元禄十四年(一七〇二)の紀年銘が記されていたとの説がある。
野田ばやしは、鎮守社白髭神社の例祭(四月と十月)と、五月の長徳寺の薬師大祭、それに七月の天王様で奉納されており、天王様を祭るための祇園囃子も同時に伝承されている。(入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会掲示より)

白鬚神社(野田)の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿