光英寺。狭山市指定文化財の銅造聖観世音菩薩立像
光英寺の概要
真言宗豊山派寺院の光英寺は、堀兼山と号します。光英寺は、江戸時代中期の元禄14年(1701)に奥富の圓照寺古跡を当地へ移す形で創建、宝永2年(1705)に光英寺と寺号を改号したといいます。
山号 | 堀兼山 |
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院号 | - |
寺号 | 光英寺 |
住所 | 狭山市堀兼1228 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光英寺の縁起
光英寺は、江戸時代中期の元禄14年(1701)に奥富の圓照寺古跡を当地へ移す形で創建、宝永2年(1705)に光英寺と寺号を改号したといいます。
新編武蔵風土記稿による光英寺の縁起
(堀金村)
光英寺
新義眞言宗、江戸大塚護持院の末なり、堀金山山王院と號す、正徳二年榮俊法印と云し人起立する處なりと云。
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(上奥富村)
圓照寺跡
村の西にあり、密寺なりしと云のみにて、其来由をつたへず。 (新編武蔵風土記稿より)
「入間郡誌」による光英寺の縁起
堀兼村
光英寺
元禄十四年奥富村瑞光寺抱持する處の古跡圓照寺を堀兼に移し、教主護國寺の門徒たらんを請ひて許されたり、寶永二年に至り圓照寺の舊號を改め光英寺と稱し永く末寺たらんを願へり。當時の願書今存せり。(「入間郡誌」より)
光英寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「入間郡誌」