瑞光寺。狭山市上奥富にある真言宗智山派寺院
瑞光寺の概要
真言宗智山派寺院の瑞光寺は、龍殿山成就院と号します。瑞光寺の創建年代等は不詳ながら、当寺14世住職廣海の寂年が慶長19年(1614)で、創建年代は古くに遡る古寺だといいます。武州八十八所霊場70番です。
山号 | 龍殿山 |
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院号 | 成就院 |
寺号 | 瑞光寺 |
住所 | 狭山市上奥富354 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
瑞光寺の縁起
瑞光寺の創建年代等は不詳ながら、当寺14世住職廣海の寂年が慶長19年(1614)で、創建年代は古くに遡る古寺だといいます。
新編武蔵風土記稿による瑞光寺の縁起
(上奥富村)瑞光寺
龍殿山成就院と號す、新義真言宗、大智寺の末なり、開山の僧詳ならず、鬼簿に第十四世廣海、慶長十九年六月十五日寂すと載たれば、古寺なること證すべし、本尊大日を安ず。
鐘楼。鐘に寛延元年の銘を彫れり。(新編武蔵風土記稿より)
瑞光寺所蔵の文化財
- 紙本着色両界曼荼羅二幅(狭山市指定文化財)
紙本着色両界曼荼羅二幅
密教では宇宙の森羅万象は大日如来の徳を開現したものであると説き、その教理を説明するものとして、方形に区画した中に諸仏を描いた両界曼荼羅が造られた。両界曼荼羅は金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅からなり、金剛界は大日如来を智徳の方面から説いたもので、胎蔵界は大日如来を慈悲の方面から説いたものである。
金剛界曼荼羅は『金剛頂経』を根拠として描いたもので、九会曼荼羅とも称し、中央に成身会(一〇六一尊)を配し、九会に区分されたなかに一四六一尊が描かれている。胎蔵界曼荼羅は『大日経』に基づいて描いたもので、中央の中台八葉院をはじめ十三大院に区分され、およそ四一四尊が描かれている。
本図は、室町時代以前の作と推定される貴重なものである。(狭山市教育委員会・狭山市文化財保護審議会掲示より)
瑞光寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿