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金剛院。狭山市南入曽にある真言宗豊山派寺院

金剛院の概要

真言宗豊山派寺院の金剛院は、御嶽山延命寺と号します。金剛院の創建年代は不詳ながら、建久年間(1190-1197)の創建と伝えられ、天文年間(1532-1554)に深悦沙門が中興、慶安2年(1649)には三代将軍徳川家光から寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

金剛院
金剛院の概要
山号 御嶽山
院号 金剛院
寺号 延命寺
住所 狭山市南入曽460
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



金剛院の縁起

金剛院の創建年代は不詳ながら、建久年間(1190-1197)の創建と伝えられ、天文年間(1532-1554)に深悦沙門が中興、慶安2年(1649)には三代将軍徳川家光から寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による金剛院の縁起

(南入曽村)御嶽社
村の鎮守なり、社領として慶長二年十石の御朱印を賜はる、當社は古き勧請なるにや、近き頃まで文明二年庚寅三月日惣旦那と鐫たる鰐口などありしと云。
別當金剛院
社地を隔ること二町許にあり、新義眞言宗、成木村安楽寺の末なり、御嶽山延命寺と號す、不動の坐身を本尊とす。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県・狭山市掲示による金剛院の縁起

金剛院は真言宗豊山派の寺で、奈良県長谷寺の末寺であり、本尊は不動明王である。
当寺の創立年代は明らかではないが、建久年間(一一九〇~九七)と伝えられる。天文年中(一五三二~五四)に深悦沙門が中興し、その後の慶安二年(一六四九)には三代将軍徳川家光から御朱印十石を賜っている。
天保四年(一八三三)及び明治三十八年に火災にあい、四脚門と土蔵を残し全焼したが、再建し、昭和三十二年に現在の唐招提寺風の屋根に大改装した。
堂内には、享保元年(一七一六)玄慶作の木造不動明王座像をはじめ、室町時代以前の作と推定される木造地蔵菩薩立像など多数の文化財がある。また、境内にある四脚門は、天明二年(一七八二)に寛慶により建立されたものである。
その他、当寺には、県指定無形民俗文化財となっている「入曽の獅子舞」が伝承されており、毎年十月十四・十五日に奉納される。(埼玉県・狭山市掲示より)


金剛院所蔵の文化財

  • 木造地蔵菩薩立像(狭山市指定文化財)
  • 木造不動明王座像
  • 入曽の獅子舞(県指定無形民俗文化財)

木造地蔵菩薩立像

地蔵菩薩とは、釋迦が亡くなってから五十六億七千万年後に弥勒菩薩が現れるまでの間、この世で衆生(生命のあるものすべて)を救う仏とされています。そのため尊顔は慈悲深い穏やかな顔立ちをしており、右手には錫杖を、左手には宝珠を持っています。錫杖は僧侶が持つ環のついた杖で、もともとはインドの僧が山野を遊行するときに振り鳴らし、毒蛇や害虫を追い払ったものといわれています。宝珠は如意宝珠ともいい、意のままに宝などを出すという珠のことで、病苦も取り除くことができるとされています。」
この地蔵菩薩立像は、像高七九・五cm、寄木造り、玉眼、漆箔及び金泥彩からなり、かつて同院所属の南入曽にあった地蔵堂の本尊でした。金剛院所蔵の古文書によると、春日の作(神作といって、仏像の由来を尊厳にするために付けられることが多い)と伝える古仏が失われたため、元亀四年(一五七三)に地元の有志と金剛院の甚悦沙門らが、仏師玉運に依頼して再興したことや、承応二年(一五六三)に、修理が行われたことが記録されています。
仏師玉運は、元亀・天正年間に当像以外にも武蔵・相模(現在の埼玉県・東京都・神奈川県)地方で数件の仏像製作や修理を行っていることが判明しています。(狭山市教育委員会・狭山市文化財保護審議会掲示より)

金剛院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿