永代寺。新田左中将義貞を開基
永代寺の概要
真言宗智山派寺院の永代寺は、金寶山龍護院と号します。永代寺の創建年代等は不詳ながら、新田左中将義貞を開基、正増坊を開山、聖長(享保19年1734年寂)を中興とするといいます。武州八十八所霊場71番です。
山号 | 金寶山 |
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院号 | 龍護院 |
寺号 | 永代寺 |
住所 | 狭山市柏原2492 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
永代寺の縁起
永代寺の創建年代等は不詳ながら、新田左中将義貞を開基、正増坊を開山、聖長(享保19年1734年寂)を中興とするといいます。
新編武蔵風土記稿による永代寺の縁起
(柏原村)永代寺
金寶山龍護院と號す、新義真言宗、入間郡勝呂大智寺末なり、開山正増坊開基は、新田左中将義貞安永年都来祝融の患にかかりて、古器舊記悉く灰滅して、事實詳ならず聖長を中興とす、享保十九年六月廿九日寂す、本尊不動木の立像長二尺五寸、左右の二童子も同く立像長一尺二寸、共に定朝の作、又堂内に虚空蔵の坐像長一尺五寸なるを安ず、靈験なりと云。
鐘楼、寶暦中鑄造の鐘を懸す。
古碑。永和年中戊午二月日と刻す。(新編武蔵風土記稿より)
永代寺所蔵の文化財
- 木造不動明王及び二童子立像(狭山市指定文化財)
木造不動明王及び二童子立像
密教では大日如来が三輪身(自性輪身=如来、正法輪身=菩薩、教令輪身=明王)となって現れるとされます。不動明王は、大日如来の教令輪身した分身とされ、煩悩を抱えた衆生(生命のあるものすべて)を力ずくでも救済するために、忿怒の姿をしています。
この像は永代寺のかつての本尊といわれ、いずれも玉眼入り、寄木造りで江戸時代初期に造られたと推察されます。
火炎を背にして両眼を大きく見開き、右の牙を上に、左の牙を下に向けて怒りを表し、右手は胸前で倶利伽羅剣(煩悩や邪悪なものを打ち破るための剣)を持ち、左手は羂索(人々を助けるための縄)を持っています。また、向かって左の制吒迦童子の動、矜羯羅童子の静の対象さが見事に造形され、躍動感あふれるその姿は美術的にみても大変優れた作品です。また市内に数多くある不動明王のなかでも秀逸なものです。(狭山市教育委員会・狭山市文化財保護審議会掲示より)
永代寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿