東光寺。武蔵野三十三観音霊場
東光寺の概要
真言宗智山派寺院の東光寺は、法栄山と号します。東光寺は、澁澤・增田・吉田・桑田の四家が開基となり、印融(永正6年1509年寂)が開山したといいます。武蔵野三十三観音霊場19番、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所46番です。
山号 | 法栄山 |
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院号 | - |
寺号 | 東光寺 |
住所 | 入間市小谷田1437 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東光寺の縁起
東光寺は、澁澤・增田・吉田・桑田の四家が開基となり、印融(永正6年1509年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による東光寺の縁起
(小谷田村附新田)東光寺
新義真言宗、多磨郡大久野村西福寺の末、清榮山遍照院と號す、開山印融永正六年八月十五日示寂す、開基は澁澤・增田・吉田・桑田の四人にて、今も四家共に村内に連綿せり、本尊不動を安ず。
鍾樓。銘文左の如し。(銘文省略)
大日堂
山王堂(新編武蔵風土記稿より)
東光寺所蔵の文化財
- 梵鐘(市指定有形文化財)
- 東光寺の多羅葉(市指定天然記念物)
梵鐘
延宝二年(一六七四)小谷田村の領主であった旗本五味豊旨の家臣四十三名が、前主君備前守豊直公の遺徳をしのんで、武蔵の名刹東光寺に献納した梵鐘で、鑄造者は京都の名工鋳物師の一人近藤藤久、銘文は智積院七世運敞の作になる。総高一一三・二センチメートル、直径五一・五センチメートル、周囲一・六メートルのすぐれた作品である。鐘の内側に家臣の氏名が刻まれている。(入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会掲示より)
東光寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿