長久寺。旗本土屋利次が創建、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所
長久寺の概要
真言宗豊山派寺院の長久寺は、浄悦山凉光院と号します。長久寺は、当地の領主だった旗本土屋利次が、次男成勝を第一世住職栄俊として正保2年(1645)に創建、頼喜(正徳6年1716年寂)が中興したといいます。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所62番です。
山号 | 浄悦山 |
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院号 | 凉光院 |
寺号 | 長久寺 |
住所 | 入間市宮寺2324 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長久寺の縁起
長久寺は、当地の領主だった旗本土屋利次が、次男成勝を第一世住職栄俊として正保2年(1645)に創建、頼喜(正徳6年1716年寂)が中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による長久寺の縁起
(中野村)長久寺
浄悦山凉光院と號す、新義真言宗にて多磨郡中藤村真福寺末なり、中興の僧を頼喜と云、正徳六年二月十四日寂す、本尊不動。
馬鳴堂。守護神なり、神體は馬上の像なり、例祭は三月十九日なり。(新編武蔵風土記稿より)
長久寺所蔵の文化財
- 旗本土屋氏の墓付墓石一基(入間市指定有形文化財)
旗本土屋氏の墓付墓石一基
これらの墓石は、旗本として徳川氏に仕えた土屋氏一族(向かって左から六代利殻、十代利薄、二代利次、七代利直、付墓石=家来、九代利懐、初代利常、八代利族、三代利勝、四代利意、五代利起)のものである。
土屋氏は、利常が初代旗本に登用され、寛永二年(一六二五)に中野村(現入間市宮寺)の一八七石を初めとする五七〇石余りの領地を拝領した。利常は、没後二本木の地福寺(現在廃寺)に葬られたが、後に長久寺(この場所)に移葬されている。
二代利次は、中野村北部の土屋新田(現宮寺北中野)を開墾し、その一角に正保二年(一六四五)浄悦山長久寺を建立して、土屋氏の菩提寺と定めた。なお、利次の次男成勝が出家して、長久寺の第一世住職栄俊となっている。また、利次は、寛文四年(一六六四)に奈良奉行となって、大和国平群郡額田部村(現奈良県大和郡山市)に五〇〇石の知行地を加増されるとともに、額田部村森川重左衛門より馬鳴大士像を寄進され、これを長久寺に奉納している。現在も馬鳴大士の祭りが毎年四月下旬に行われている。
これら墓石は、当地の近世旗本の支配の様子を知る上で貴重な文化財である。(入間市教育委員会掲示より)
長久寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿