山際観音堂。狭山三十三観音霊場
山際観音堂の概要
山際観音堂は、入間市宮寺にある堂庵です。山際観音堂の創建年代等は不詳ながら、当地周辺はかつて宮寺郷と称され宮寺村・矢寺村・坊村など、聖武天皇勅命による最勝王院(西勝院)に因む地名が多く、最勝王院に因む堂塔も数多く建立された地です。口碑では、山際観音堂は「保元、平治の頃、村山貫主頼任の息、宮寺五郎家平堂塔を建立す」と伝承されていました。江戸時代に称されていた地名二本木村小名山際より山際観音堂と称していますが、地元では西観音(にしっかんのん)と呼んでいるそうです。狭山三十三観音霊場26番です。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
住所 | 入間市宮寺1708 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
山際観音堂の縁起
山際観音堂の創建年代等は不詳ながら、当地周辺はかつて宮寺郷と称され宮寺村・矢寺村・坊村など、聖武天皇勅命による最勝王院(西勝院)に因む地名が多く、最勝王院に因む堂塔も数多く建立された地です。口碑では、山際観音堂は「保元、平治の頃、村山貫主頼任の息、宮寺五郎家平堂塔を建立す」と伝承されていました。江戸時代に称されていた地名二本木村小名山際より山際観音堂と称していますが、地元では西観音(にしっかんのん)と呼んでいるそうです。
境内掲示による山際観音堂の縁起
西観音の縁起
山際の西観音は、昔から地元の人々に「にしっかんのん」と呼ばれ、親しまれてまいりました。
西観音の縁起については、はっきりしませんが明治初年編纂の宮寺地誌略に「保元、平治の頃、村山貫主頼任の息、宮寺五郎家平堂塔を建立す、との口碑あり」と記されています。この時代は平安末期で平清盛が活躍した時代です。 (境内掲示より)
山際観音堂の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿