長福寺。入間市二本木にある臨済宗建長寺派寺院
長福寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の長福寺は、不盡山と号します。長福寺は、桃源宗怪(永徳2年1382年寂)が開山となり坊村に創建、關棟玄脱の代の寛文9年(1669)当地へ移転したといいます。
山号 | 不盡山 |
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院号 | - |
寺号 | 長福寺 |
住所 | 入間市二本木1217 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長福寺の縁起
長福寺は、桃源宗怪(永徳2年1382年寂)が開山となり坊村に創建、關棟玄脱の代の寛文9年(1669)当地へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による長福寺の縁起
(二本木村附新田)長福寺
不盡山と號す、臨済宗、多磨郡柴崎村普濟寺末、開山桃源宗怪永徳二年示寂す、本尊釈迦を安。
鐘楼。寛文の初住僧徳叟が鋳し鐘破砕せしにより、元禄四年再造せしときの銘文あり、略す。
大日堂。
天王社。元は村内小名東袋にありしを、後此境内に移すと云ふ、今もその舊蹟を天王森と呼べり。
稲荷社(新編武蔵風土記稿より)
「入間郡誌」による長福寺の縁起
野話に曰く、「太子堂を守りし寺は臨済にて、長福寺と云ふ。開山は桃源宗悟にて永徳二年九月四日示寂、其後寛文九年二本木へ移す。其の時の住僧は關棟玄脱なりと、今寺分と云ふ畑は長福寺の跡なる由。天文二年二月吉日と記し、三體の佛像を描ける石碑此寺境内にあり。又五輪の臺石あり。平氏長尾藤四郎とあれど年代知れず」と。長福寺今は長久寺に合せり。 (「入間郡誌」より)
「瑞穂町史」による長福寺の縁起
旧地は坊村にあったが、寛文九年に八世間宗玄悦和尚の代に現地に移った。 (「瑞穂町史」より)
長福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「入間郡誌」
- 「瑞穂町史」