坊太子堂。旧坊村八雲神社祭礼古文書・太子堂大般若経
坊太子堂の概要
坊太子堂は、入間市宮寺にある堂庵です。坊太子堂の創建年代等は不詳ながら、当地周辺はかつて宮寺郷と称され宮寺村・矢寺村・坊村など、聖武天皇勅命による最勝王院(西勝院)に因む地名が多く、最勝王院に因む堂塔も数多く建立された地です。江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿には「村持ち」の堂庵とされていますが、それより往古は、かつて当地近くにあった長福寺が太子堂を管理していたといいます。宮寺旧坊村八雲神社祭礼古文書は、かつて当地に鎮座していた天王社・山王社(八雲神社)の祭礼に関する古文書で、坊太子堂大祭で転読される大般若経等とともに入間市有形文化財に指定されています。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
住所 | 入間市宮寺 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 坊太子堂大祭毎年4月 |
坊太子堂の縁起
坊太子堂の創建年代等は不詳ながら、当地周辺はかつて宮寺郷と称され宮寺村・矢寺村・坊村など、聖武天皇勅命による最勝王院(西勝院)に因む地名が多く、最勝王院に因む堂塔も数多く建立された地です。江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿には「村持ち」の堂庵とされていますが、それより往古は、かつて当地近くにあった長福寺が太子堂を管理していたといいます。
新編武蔵風土記稿による坊太子堂の縁起
(坊村)
太子堂
村持(新編武蔵風土記稿より)
「入間郡誌」による坊太子堂の縁起
太子堂
武蔵野話に曰く、坊村に古より聖徳太子堂あり、と堂は今荒たり。(「入間郡誌」より)
坊太子堂所蔵の文化財
- 宮寺旧坊村八雲神社祭礼古文書および太子堂大般若経(入間市指定有形文化財)
西久保観世音の鉦はり
宮寺旧坊村の鎮守八雲神社(旧天王社、山王社が八雲神社となり、さらに現在は出雲祝神社境内に合祀)と太子堂の祭礼に係わる文書などで、旧坊村の当時の信仰のようすなどを今に伝える史料である。
宮寺旧坊村八雲神社祭礼古文書は、嘉永七年(一八五四)から大正二年(一九一三)の約六十年間にわたる四百十六点におよ坊村の天王社、山王社祭礼文書で、祭礼の経費をはじめ当時の祭礼のようすが記録されている。
太子堂に納められている鉄眼版で、幕末の弘化から安政期にかけて奉納されたもので、十二箱に収蔵されている。
毎年四月の大般若祭(坊太子堂大祭)では、大般若経を開いて転読供養が今も行われる。
他に付として、神輿一台、幟一対と原書五点、般若心経供養塔一基、奉納俳句額一点、版木五点、木造上宮皇太子(聖徳太子)憲法扁額一点がある。(入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会掲示より)
坊太子堂の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿