高養寺。金子筑後守家定が開基
高養寺の概要
曹洞宗寺院の高養寺は、龍岳山と号します。高養寺は、金子筑後守家定(法名高養寺殿月峯常圓居士、天正15年1587年卒)が開基となり、天室徳源(永禄元年1560年寂)が開山、慶安年間(1648-1651)には江戸幕府より寺領11石の御朱印状をしたといいます。
山号 | 龍岳山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 高養寺 |
住所 | 入間市寺竹1022 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
高養寺の縁起
高養寺は、金子筑後守家定(法名高養寺殿月峯常圓居士、天正15年1587年卒)が開基となり、天室徳源(永禄元年1560年寂)が開山、慶安年間(1648-1651)には江戸幕府より寺領11石の御朱印状をしたといいます。
新編武蔵風土記稿による高養寺の縁起
(寺竹村)高養寺
曹洞宗、郡中木蓮寺瑞泉院の末、龍嶽山と號す、寺號は開基の法謚を用ゆ、開山天室徳源永禄元年六月廿二日示寂、開基金子筑後守家定天正十五年八月廿二日卒す、法名高養寺殿月峯常圓居士と傳ふれば、草創の年歴は推て知べし、慶安年中寺領十一石の御朱印を賜しより、連綿して今に至れり、本尊地蔵長一尺二寸、運慶の作。
白山社。子の権現社
観音堂。 (新編武蔵風土記稿より)
高養寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿