井草天神社。八潮市井草の神社

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井草天神社。八潮市井草の神社

井草天神社の概要

井草天神社は、八潮市井草にある天神社です。井草天神社の創建年代は不詳ですが、井草村の鎮守社であったといいます。

井草天神社
井草天神社の概要
社号 天神社
祭神 菅原道真公
相殿 -
境内社 天王社、古峰社、天神社、稲荷社、榛名社
祭日 -
住所 八潮市井草467
備考 -



井草天神社の由緒

井草天神社の創建年代は不詳ですが、井草村の鎮守社であったといいます。

新編武蔵風土記稿による井草天神社の由緒

(井草村)天神社
村の鎮守なり、圓蔵院の持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による井草天神社の由緒

天神社<八潮市伊草四六七(伊草字葛西井堀西)>
当地は綾瀬川と中川に挟まれた低地で、地名の伊草はここに繁茂した藺草にちなみ名付けられた。当社は村の北西に鎮座し、集落の所在する南東を向いている。当地で最も古い家は、東と呼ばれる豊田豊明家で、平将門の子孫であるという伝承を持ち、当社にも早くから関与していたと考えられる。
別当は、『風土記稿』によると、真言宗圓蔵院である。
本殿は一間社流造り、内陣には天満天神像二体が安置される。このうちの一体には、「圓蔵院住僧誉定」とある。本殿の造営記録として、文政九年(一八二六)の棟札が現存し、これには「奉再建天満宮本社一宇」とあり、別当圓蔵院知泉光覚が導師を務めている。
拝殿には、文政十三年(一八三〇)及び安政二年(一八五五)の社寺参詣絵馬が奉納されている。このうち安政二年の絵馬の額縁には、爆弾による傷跡が残る。これは、昭和二十年二月二十五日の天神様の祭り当日、当地に飛来した米軍機の爆撃によるもので、社殿の後ろに着弾した爆弾のために、社殿の板壁は吹き飛び、爆発の跡には三〇坪もの大穴が出来た。社殿内にいた氏子たちは、祭りの酒でほろ酔い気分であったが、あまりにも突然の出来事に一同茫然となった。しかし一人のけが人もなく、皆無事であったことから、これは天神様が守ってくれたのだと、一同は改めて神威に感謝したという。(「埼玉の神社」より)


井草天神社の周辺図