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下根稲荷神社。草加市稲荷の神社

下根稲荷神社の概要

下根稲荷神社は、草加市稲荷にある稲荷神社です。下根稲荷神社は、慶長年間(1596-1615)の新田開発の直後に、地主江森家の屋敷内に祀ったといい、立野堀村の鎮守社であったといいます。安政年間(1854-1860)以降邸内社から村へ引き渡され、明治期には村社に列格したといいます。

下根稲荷神社
下根稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
祭日 初午日
住所 草加市稲荷3-13-1
備考 旧村社



下根稲荷神社の由緒

下根稲荷神社は、慶長年間(1596-1615)の新田開発の直後に、地主江森家の屋敷内に祀ったといい、立野堀村の鎮守社であったといいます。安政年間(1854-1860)以降邸内社から村へ引き渡され、明治期には村社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による下根稲荷神社の由緒

(埼玉郡立野堀村)
稲荷社
村の鎮守なり、妙學院持、下二社同じ
末社。疱瘡神。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による下根稲荷神社の由緒

稲荷神社(立野堀字下根通)
立野堀は旧綾瀬川によって形成された自然堤防と湿地を切り開いた村である。慶長八年(一六〇三)の伊奈忠次開発手形(小沢家文書)によれば「八条谷たての堀新田」の開発者には三年間諸役免許の特典を与えるとあり、当時積極的に新田開発が推し進められたことがうかがえる。立野堀には上根通と下根通の二つの古い村組があり、いずれも稲荷神社を祀っている。当社はこのうちの下の稲荷神社である。
口碑によれば、安政年間(一八五四~六〇)までは当地の江森安兵衛という地主の屋敷神であったのを、後に村へ渡したという。恐らくは、慶長年間(一五九六-一六一五)の新田開発の直後に、豊穣を願い、作神である稲荷を地主の江森家の屋敷に祀り、それが後に村で祀られるようになったのであろう。更に当社は、上の稲荷神社より古く、本家であると伝えられており、明治末期にはそれぞれの地区に有力者がいたため合祀は行われなかったという。ちなみに、明治初年の社格制定に際して、上の稲荷は無格社で、当社は村社となった。
『風土記稿』には「稲荷社村の鎮守なり、妙學院持、(中略)末社疱瘡神稲荷社」とあり、妙学院(現明学院)が別当となっている。明学院は幸手不動院配下の本山修験の寺で慶長八年(一六〇三)の開創とされ、現在上の稲荷の裏手にある。(「埼玉の神社」より)


下根稲荷神社の周辺図


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