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上根稲荷神社。草加市稲荷の神社

上根稲荷神社の概要

上根稲荷神社は、草加市稲荷にある稲荷神社です。上根稲荷神社の創建年代は不詳ですが、慶長年間(1596-1615)に立野堀村が開拓、立野堀村字上根通の鎮守社であったといいます。

上根稲荷神社
上根稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇賀之魂命
相殿 八坂神社、少名彦古那彦
境内社 -
祭日 -
住所 草加市稲荷4-12-9
備考 -



上根稲荷神社の由緒

上根稲荷神社の創建年代は不詳ですが、慶長年間(1596-1615)に立野堀村が開拓、立野堀村字上根通の鎮守社であったといいます。

新編武蔵風土記稿による上根稲荷神社の由緒

(埼玉郡立野堀村)
稲荷社
村の鎮守なり、妙學院持、下二社同じ
末社。疱瘡神。
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稲荷社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による上根稲荷神社の由緒

稲荷神社(立野堀字上根通)
立野堀は、伊奈忠次による新田開発で自然堤防や後背湿地が切り開かれた村で、化政期(一八〇四-三〇)には戸数七六あり、稲作を主体とする村であった。当社の鎮座する上根通は立野掘村の中央に位置し、旧綾瀬川によって形成された微高地で、南に接する下根通と共に村の中心地であった。上下それぞれに稲荷神社が祀られており、当社はそのうちの上の稲荷神社である。
『風土記稿』立野堀村の項には「稲荷社村の鎮守なり、妙学院持、下二社同じ、末社疱瘡押○稲荷社〇第六天社○天王社慈尊院の持」と二社の稲荷が見える。明治初年の社格制定に際して、当社は無格社とされ、下の稲荷社が村社に列したことから、『風土記稿』に見える「村の鎮守」は下の稲荷社であったことが推測される。しかし「草加宿助郷議定証文」(野島家文書)によれば、上立野堀村と下立野堀村は別村として助郷勤めをしていたことが見える。このことからすると上下の稲荷神社は、実際はそれぞれの村の鎮守として祀られていたと考えられる。
口碑によれば、明治末期には上下いずれも有力者がいたため、合祀は行われなかったという。また、当社の末社となっている天王社は、慈尊院の境内にあったが、明治維新を機に当社に移された。ちなみに明学院慈尊院共に上根通にある寺である。(「埼玉の神社」より)


上根稲荷神社の周辺図


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