伊勢野天満宮。八潮市伊勢野の神社
伊勢野天満宮の概要
伊勢野天満宮は、八潮市伊勢野にある天満宮です。伊勢野天満宮は、伊勢出身の朝田金次郎が慶長5年(1600)に当地を開墾、京都北野天満宮の分霊を村の鎮守として祀ったことに始まるといいます。浅田家の鎮守であった神明社を明治初期に合祀、明治42年に上厨子・下厨子・中厨子の稲荷社三社を合祀しています。
社号 | 天満神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | 稲荷社 |
境内社 | 秋葉社、山王社、第六天 |
祭日 | - |
住所 | 八潮市伊勢野669 |
備考 | - |
伊勢野天満宮の由緒
伊勢野天満宮は、伊勢出身の朝田金次郎が慶長5年(1600)に当地を開墾、京都北野天満宮の分霊を村の鎮守として祀ったことに始まるといいます。浅田家の鎮守であった神明社を明治初期に合祀、明治42年に上厨子・下厨子・中厨子の稲荷社三社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による伊勢野天満宮の由緒
(伊勢野村)天神社
村の鎮守なり、光明寺の持なり(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による伊勢野天満宮の由緒
天満神社<八潮市伊勢野六六九(伊勢野字根通)>
伊勢野は、中川の右岸に位置する農業地域として発展してきた。その地名は、鎌倉時代にこの辺りの地が伊勢の神領となり、当地の地内にはその郷倉が設けられていたことに由来するとも、慶長五年(一六〇〇)にこの地に土着して村を開いた朝田金次郎(朝田礼一家の先祖)が伊勢の出身であったことに由来するとも伝えられる。
当社は、口碑によれば、この村を開いた朝田金次郎が故郷に近い京都の北野天満宮の分霊を村の鎮守として祀ったことに始まるという。『風土記稿』の伊勢野村の項にも「天神社 村の鎮守なり、光明寺の持」と記されている。境内は、神仏習合時の名残で、別当であった光明寺と地続きになっており、銀杏の大木が目印になっているため、遠方からでもよく位置がわかる。本殿上屋に掛かる鰐ロも、神仏習合の名残で、天保十一年(一八四〇)に氏子中によって奉納されたものであることが、銘文からわかる。
また、朝田金次郎は、当地に土着した際、出身地である伊勢の松阪(現三重県松阪市)から持って来た神明社を、一家の氏神として奉斎し、同家では代々これを大切に祀ってきた。『風土記稿』で、当社に続いて「神明社 村民の持なり」と記しているのはこの神明社のことであるが、いかなる理由からか、同社は幕末から明治の初めにかけて当社に合祀された。現在、神明社は当社本殿の傍らに祀られている。(「埼玉の神社」より)
伊勢野天満宮の周辺図