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浮塚氷川神社。八潮市浮塚の神社

浮塚氷川神社の概要

浮塚氷川神社は、八潮市浮塚にある氷川神社です。浮塚氷川神社の創建年代は不詳ですが、江戸期には浮塚村の鎮守社であったといいます。明治4年村社に列格、明治42年字砂取耕地の稲荷社を合祀したといいます。

浮塚氷川神社
浮塚氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 砂取稲荷神社
祭日 -
住所 八潮市浮塚450
備考 -



浮塚氷川神社の由緒

浮塚氷川神社の創建年代は不詳ですが、江戸期には浮塚村の鎮守社であったといいます。明治4年村社に列格、明治42年字砂取耕地の稲荷社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による浮塚氷川神社の由緒

(浮塚村)氷川社
村の鎮守なり、大正・長泉両寺(註:現大仙寺)の持なり。
末社。稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による浮塚氷川神社の由緒

氷川神社<八潮市浮塚四五〇(浮塚字中之島)>
当社の鎮座する浮塚の地名については、次のような話が伝えられている。昔この辺りが海であったころ、日本武尊の宝船が東征の途上、当地で沈んだ。海が遠のいた後、当地の周辺は一面の沼になっていたが、宝船の沈んだ所だけは船の形の塚(小丘)になり、沼の中に浮かんで見えた。従って、この塚にちなんで、当地のことをいつしか浮塚と呼ぶようになったのであるという。また、八幡太郎源義家がこの塚に船をつないで一服して作戦を練ったという話も伝えられている。
当社は、この船形の小丘の上に位置しており、古くから浮塚の鎮守として信仰されてきた。創建の年代は明らかでないが、口碑によれば、豊臣家の家臣であった小宮将監が戦に敗れてこの地に土着し、当社を祀ったという。ちなみに、小宮将藍は当地の草分けとされている。
また、『風土記稿』には、「氷川社、大正・長泉両寺の持なり、末社、稲荷社」と記されており、内陣にはその当時から神体とされていたと思われる古色を帯びた金幣が安置されている。この、江戸時代に別当であった大正寺と長泉寺は、共に真言宗の寺院であったが、明治初年に合併し、大仙寺と改号した。一方、当社は、明治四年に村社になり、同四十二年には字砂取耕地の稲荷社を合祀し、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)


浮塚氷川神社の周辺図


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