東福寺。草加宿を開宿した大川図書が開基、草加宿七福神の毘沙門天
東福寺の概要
真言宗智山派寺院の東福寺は、松寿山不動院と号します。東福寺は、草加宿を開宿した大川図書が開基、僧賢宥(元和5年1619年寂)が開山となり1606年(慶長11)に創建したといいます。草加宿七福神の毘沙門天が新たに祀られています。
山号 | 松寿山 |
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院号 | 不動院 |
寺号 | 東福寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 草加市神明1-3-43 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 草加宿七福神の毘沙門天 |
東福寺の縁起
東福寺は、草加宿を開宿した大川図書が開基、僧賢宥(元和5年1619年寂)が開山となり1606年(慶長11)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による東福寺の縁起
(南草加村)東福寺
新義真言宗。、原村密蔵院末、松寿山不動院と号す、本尊不動を安す、慶長年中の草創にて、開山賢宥元和五年十二月二十八日寂せり、開基大河図書は則当宿を開きし人なり、卒年詳ならず、表門の外に鋳物地蔵を安す。
鐘、寛永四年の鋳造なり。
弁財天社、十王堂。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による東福寺の縁起
東福寺は、草加宿の祖・大川図書が創建した寺です。正式には「松寿山不動院東福寺」といいます。1606年(慶長11)に大川図書によって創建され、僧賢宥(けんう)が開山したといわれています。本堂は明治年間にわら葺から瓦葺にあり、1993年(平成5)には大規模な改修が行われました。境内の墓地には大川図書の墓があります。山門、本堂外陣欄間、鐘楼は市指定文化財で、「草加八景」の1つでもあります。(境内掲示より)
東福寺所蔵の文化財
- 東福寺本堂内外陣境彫刻欄間(市指定有形文化財)
- 東福寺鐘楼(市指定有形文化財)
- 東福寺山門(市指定有形文化財)
東福寺本堂内外陣境彫刻欄間
東福寺本堂の内外境には江戸の名工島村円哲作の三枚からなる見事な彫刻欄間がある。
中央は一メートル四センチに一メートル七十三センチもある大きな彫刻で仏教の守護神である竜の構図である。
技法はすぐれ、波頭を蹴る竜は迫力がある。
左右はやや小さく、中国の二十四孝の一部である。象と耕作しているのは大舜である。大舜の親に尽くす孝養に、象きたりて耕作をたすけ、鳥まで草をとりて耕作の助けをしている構図である。
一方ひざまずいて天女をみあげるのは董永である。董永は家まずしくとも、親に孝養の限りをつくし、親の死におよび身を売って葬礼をいとなんだ。
その至誠が天に通じ、天女きたりて、董永の借財をかえしてもあまりある織物を作りあげ、昇天する構図である。
董永・天女ともに別れを惜しむ姿が、いきいきと彫られている。(草加市教育委員会掲示より)
東福寺鐘楼
この鐘楼は、石積みの基壇上に建ち、柱の間二メートル七十二センチの方形である。絵様彫刻は立川流を基本とし、彫刻は江戸に近い関係で、当時の優秀な技法が見られる。基壇に「文久二年七月再造立」(一八六二)の刻銘があり、時代が判明する。この建物は、当時の優秀な工匠によって造営されたと推定され、数少ない本市の文化財として貴重な寺院建築物といえる。(草加市教育委員会掲示より)
東福寺の周辺図