本郷八坂神社。本郷村の名主が津島牛頭天王の分霊を受け創建
本郷八坂神社の概要
本郷八坂神社は、比企郡ときがわ町本郷にある神社です。本郷八坂神社は、当地に疫病が大流行した享和2年(1802)に、本郷村の名主だった岡野六左衛門・坂本勘左衛門・坂下作右衛門の三氏が津島の牛頭天王の分霊を受け、字高尾根(天王山山頂)に雄獅子を、字坂下に雌獅子を、それぞれ祀り創建したといいます。当地にはもと日枝神社(山王社)が祀られ、当地の領主だった石黒日向守の崇敬を受けていましたが、観音寺に祀られていた鈴宮神社と共に、4社全てが明治40年日枝神社に合祀され、社名を八坂神社と改めたといいます。
社号 | 八坂神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 八坂祭7月14日、例大祭10月15日 |
住所 | 比企郡ときがわ町本郷711 |
備考 | - |
本郷八坂神社の由緒
本郷八坂神社は、当地に疫病が大流行した享和2年(1802)に、本郷村の名主だった岡野六左衛門・坂本勘左衛門・坂下作右衛門の三氏が津島の牛頭天王の分霊を受け、字高尾根(天王山山頂)に雄獅子を、字坂下に雌獅子を、それぞれ祀り創建したといいます。当地にはもと日枝神社(山王社)が祀られ、当地の領主だった石黒日向守の崇敬を受けていましたが、観音寺に祀られていた鈴宮神社と共に、4社全てが明治40年日枝神社に合祀され、社名を八坂神社と改めたといいます。
新編武蔵風土記稿による本郷八坂神社の由緒
(本郷村)
山王社
村内の鎮守とす、百姓持、
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八王子社
觀音寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による本郷八坂神社の由緒
八坂神社<都幾川村本郷七七一(本郷字殿ヶ谷戸)>
元来、本郷には神社が四社あった。字殿ヶ谷戸の日枝神社・宇高尾根の八坂神社・字坂下の八坂神社・字鈴宮の鈴宮神社がそれである。
日枝神社は、創建は不詳ながら、社記によれば元禄年間(一六八八-一七〇四)には当地を領した石黒日向守の鎮所であり、武門の神として尊信が厚かったという。境内の石碑によれば、日枝神社は往古より本郷村坂本家の本家及び殿ヶ谷戸組の氏神で、陰暦九月十九日を例祭と定め、氏子中総意を挙げて奉斎してきたという。
二社の八坂神社は、共に享和二年(一八〇二)、当地に疫病が大流行した時に、名主であった岡野六左衛門・坂本勘左衛門・坂下作右衛門の三氏が先導となり、愛知県津島の「牛頭天王様」の分霊を受けて帰って来た後、雄獅子を祀ったのが字高尾根(天王山の山頂)の八坂神社、雌獅子を祀ったのが字坂下の八坂神社である。
鈴宮神社は、創建の年代や往時の信仰など、その詳細は不明であるが、観音寺の前にあり、名主であった岡野一家(一族)の氏神として祀られていたという。
これら四社を、日枝神社に合祀し、社名を八坂神社と改めて成立したのが当社である。なお、この合祀は、本殿内に納められている奉斎札の記録から、明治四十年三一月二十一日に許可になり、同年十月二十五日に合祀祭が行われたことがわかる。(「埼玉の神社」より)
本郷八坂神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)