観音寺。日向ぼっこの観音寺、入比板東三十三所観音霊場
観音寺の概要
真言宗智山派寺院の観音寺は、鈴宮山と号します。観音寺は、元和年間に弘栄が創建、「日向ぼっこの観音寺」として親しまれ、江戸時代後期には寺子屋が開かれていたといいます。入比板東三十三所観音霊場7番・8番(廃堂となった都地波堂の十一面観音)、武州八十八所霊場20番です。
山号 | 鈴宮山 |
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院号 | - |
寺号 | 観音寺 |
本尊 | 聖観音像 |
住所 | 比企郡ときがわ町本郷551 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観音寺の縁起
観音寺は、元和年間に弘栄が創建、「日向ぼっこの観音寺」として親しまれ、江戸時代後期には寺子屋が開かれていたといいます。
境内石碑による観音寺の縁起
鈴宮山観音寺
この寺は真言宗智山派、総本山智積院に属し、鈴宮山観音寺と称する。
ご本尊は聖観世音菩薩であり弘法大師作といわれている。創建は不詳であるが、約三百七十年前の元和年間、弘栄という僧侶の時代と推察できる。また江戸時代中期より現明覚小学校開校までの間、近村の寺子屋として栄えた。我々の先祖が永年に亘り「日向ぼっこの観音寺」として、親しみ、学び、歌ってきた寺である。
ご詠歌(入引観音札所第七番)
世の音のよしあし観れば明覚の
うてなに早く赦はざらなん
近年檀徒九十戸並びに関係者の協力により、墓地の造成・石積み・庫裡の新築・正面道路の拡幅・六地蔵の移転安置等内外の環境が一段と整備された。
昭和六十二年八月檀徒総代会(境内石碑より)
新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起
(本郷村)
觀音寺
鈴宮山開敷院と號す、新義眞言宗、入間郡今市村法恩寺の末、本尊正觀音は坐像にて、長六寸許、弘法大師の作と云、又外に觀音の像を安ず、上宮太子の御作なりと云開山僧増智示寂の年代詳ならず、法流開祖を深海と云、正徳三年三月寂す、
鈴宮明神社(新編武蔵風土記稿より)
観音寺の周辺図