亀谷神社。亀ヶ谷村で祀られてきた稲荷社
亀谷神社の概要
亀谷神社は、所沢市東所沢にある神社です。亀谷神社は、永禄年間(1558-1570)の創建と伝えられ、稲荷社と称していたといいます。明治2年亀谷神社と改称、明治5年亀ヶ谷村の村社に列格していたといいます。
社号 | 亀谷神社 |
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祭神 | 宇迦之魂神 |
相殿 | - |
境内社 | 八雲神社、大山祇神社、疱瘡神社 |
祭日 | - |
住所 | 所沢市東所沢3-33-8 |
備考 | - |
亀谷神社の由緒
亀谷神社は、永禄年間(1558-1570)の創建と伝えられ、稲荷社と称していたといいます。明治2年亀谷神社と改称、明治5年亀ヶ谷村の村社に列格していたといいます。
新編武蔵風土記稿による亀谷神社の由緒
(亀ヶ谷村)
稲荷社
村民の持
普門院
新義真言宗、多磨郡成木村安楽寺末、亀谷山と號す、本尊は不動なり
閻魔堂(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による亀谷神社の由緒
亀谷神社<所沢市大字亀ヶ谷五四三(亀ヶ谷字川向)>
鎮座地亀ヶ谷は所沢市東部にあり、古くから一村を成していたが、明治二二年柳瀬村と合併し、昭和三〇年所沢市に編入されて現在に至っている。当社は本来、稲荷神社と号していたが、明治二二年の合併の際、永く村名を伝えるためにと現在の社号に改められたという。
社伝によると永禄年間の創立と伝えられるが、『風土記稿』には「稲荷社 村民の持なり」とだけ載せ、『明細帳』には「旧来亀谷稲荷大明神ト称セラレ明治二年当時ノ社号ニ改同五年村社ニ列セラル」とあり、その確証を得ない。
東流する東川は亀ヶ谷を分断するように流れ、その右岸の高台に鎮座する当社は、左岸の集落を見守るように北を向いている。なお、鎮座地の高台の森は“稲荷山”と呼ばれている。
当社に隣接して真言宗亀谷山普門院があったといわれ、往時、別当を務めていたとも考えられるが、同寺は明治維新の際、廃寺になっているため、その詳細は明らかにできない。
祭神は倉稲魂命であり、境内末社として素盞鳴命を祀る八雲神社、大山祇命を祀る大山祇神社、和豆良比之宇斯神を祀る疱瘡神社がある。このうち八雲神社は、明治二年まで牛頭天王と称していたことが『明細帳』に見える。(「埼玉の神社」より)
境内石碑による亀谷神社の由緒
亀谷神社は東川の南岸普門寺山稲荷山と称する森林の奥深くに鎮座、祭神は宇迦之魂神。永禄年間の創立と伝り以来約三〇〇年亀谷新郷の守護神として現在に至る。昭和二十年八月十五日太平洋戦争終結と共に神社制度一変し宗教法人となり昭和二十一年二月廿八日宗教法人亀谷神社設立、昭和二十八年四月廿九日埼宗第一一七二号を以て埼玉県知事の認証を受け々年五月七日登記完了(境内石碑より)
亀谷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)