藤森稲荷神社。所沢市北野南の神社
藤森稲荷神社の概要
藤森稲荷神社は、所沢市北野南にある稲荷神社です。藤森稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、村の始まりと同時に祀ったといい、当地の小暮孫兵衛が伏見稲荷神社に願って文政7年(1824)に分霊を祀ったといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 所沢市北野南2-28-55 |
備考 | - |
藤森稲荷神社の由緒
藤森稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、村の始まりと同時に祀ったといい、当地の小暮孫兵衛が伏見稲荷神社に願って文政7年(1824)に分霊を祀ったといいます。
新編武蔵風土記稿による藤森稲荷神社の由緒
なし(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による藤森稲荷神社の由緒
藤森稲荷神社<所沢市北野二三四九(北野字長者峰)>
当社はかつて長者峰と呼ばれ、北野の中で一番高い所にある。
口碑に「当社はいつのころか五人者がここに入った時に土地の神を祀ったもので、村の始まりと神社を祀り始めたのは一緒であり、この五戸を西内手組と呼んだ」とあり、「稲荷様として正式に祀ったのは、文政七年二月に当地の小暮孫兵衛という人が伏見の稲荷神社に願って分霊を祀った時からである」という。更に、藤森稲荷の社名は境内に大きな藤が二本あることによる。この藤にかかわる口碑に「昔境内の藤を切る相談を氏子がしていたら突然二〇メートルもの火柱が藤の上に立ったため、以来、この藤は切らない」という。
社記によると、文政七年分霊の際の伏見稲荷松本築後守による分霊証書があり、内陣には往時のものと思われる「稲荷大明神」と墨書のある金襴地包みの神璽(高さ二五センチメートル)を祀る。
社地は明治九年の実測で二一坪であったが、同年隣接する穐本彦十郎が九坪を寄附し、更に昭和五〇年穐本亀太郎が隣接地三六坪を寄進したため、現在六六坪である。
本殿は昭和四年に御大典を記念して再建されたものであり、社殿改築記念碑がある。
昭和五〇年には境内整備事業を行い、藤棚を新設している。
祀職は古くから北野天神社社家の栗原家が務めている。(「埼玉の神社」より)
藤森稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)