十四軒八雲神社。飯能の竹寺の牛頭天王を勧請
十四軒八雲神社の概要
十四軒八雲神社は、所沢市下富にある八雲神社です。十四軒八雲神社は、飯能の竹寺の牛頭天王から分祀して天明6年(1787)に創建、疫病が蔓延した際には、社殿を道の中央に移動させて疫病拡散を防いだと言われ、現在も道路が当社前で湾曲しています。
社号 | 八雲神社 |
---|---|
祭神 | 牛頭天王(素戔嗚尊) |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 所沢市大字下富1294 |
備考 | - |
十四軒八雲神社の由緒
十四軒八雲神社は、飯能の竹寺の牛頭天王から分祀して天明6年(1787)に創建、疫病が蔓延した際には、社殿を道の中央に移動させて疫病拡散を防いだと言われ、現在も道路が当社前で湾曲しています。
境内掲示による十四軒八雲神社の由緒
天明六丙午歳(一七八七年)に疫難消除、除災招福、出世開運の氏神として、武州入間郡下富村に祀られました。疫病払いで有名な牛頭天王を飯能の竹寺から分祀したと伝えられています。
ある時、突然疫病が蔓延し社殿を道の中央に移動し病を防ぎ鎮めたと言われております。そして住民は歴史と伝統ある天王様の祭を継承し家内安全、五穀豊穣を祈願する処であります。
平成二十二年七月吉日(境内掲示より)
新編武蔵風土記稿による十四軒八雲神社の由緒
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「入間郡誌」による十四軒八雲神社の由緒
下富
古は茫々たる武蔵野の嚝野なりしが、元禄九年五月より(名主廣右衛門の先祖、大袋新田より来て)開發し、同十九年松平美濃守の検地あり、川越領として、明治時代に至れり。
八坂神社:字十八軒屋にあり、私有也 (「入間郡誌」より)
「所沢市史社寺編」による十四軒八雲神社の由緒
該当記載なし(「埼玉の神社」より)
十四軒八雲神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「入間郡誌」
- 「所沢市史社寺編」