永源寺。所沢市久米にある曹洞宗寺院

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永源寺。大石信重創建、所沢七福神の弁財天

永源寺の概要

曹洞宗寺院の永源寺は、大龍山と号します。永源寺は、大石信重が南北朝時代に創建、由木城主大石定久の叔父で由木永林寺を開山した一種長純大和尚(永禄8年1565年寂)が開山したといいます。所沢七福神(八国山・荒幡コース)の弁財天です。

永源寺
永源寺の概要
山号 大龍山
院号 -
寺号 永源寺
住所 所沢市久米1342
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



永源寺の縁起

永源寺は、大石信重が南北朝時代に創建、由木城主大石定久の叔父で由木永林寺を開山した一種長純大和尚(永禄8年1565年寂)が開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による永源寺の縁起

(久米村)永源寺
大龍山と號す、龍ヶ谷村龍穏寺末に属して、洞家の古禅刹なり、開山は一種長純和尚永禄八年二月廿七日寂す、されど是は今の派に改めし開祖にて、寺の起立は由木永林寺と開山の僧同じと云、今按に當寺応永年中の鐘などあるを以て察するに、猶古き開闢なるべし。本尊釋迦開基大石氏の位牌を安ず、正面に開基英嵓道俊大居士とあるは、瀧山の城主大石遠江守定久が法名なり、左右に秀岳宗闕大居士直山道守座主とあるは、共に大石氏の法名にて宗闢は陸奥守氏照なり、道守は遠江戸守信重なり、客殿に鐘をかく、刻して口、
武州入東郡久米郷、大龍山永源禅寺
住持雪心叟融立本願、檀那大石遠江入道
應永廿九年壬寅九月初吉日 直山 道守
衆寮。白山社、山王社。熊野社。(新編武蔵風土記稿より)


永源寺所蔵の文化財

  • 大石信重墓塔(所沢市指定文化財)

大石信重墓塔

永源寺を創建したと伝えられる大石信重は、木曾義仲の末裔を名乗り、室町幕府の関東管領を勤める山内上杉氏に仕えました。その後合戦の手柄によって上杉氏に重用され、武蔵国のうち多摩・入間両郡の内、十三郷の領主となり、さらには武蔵・伊豆両国の守護代を歴任しました。
本堂の石段を上がったところに覆屋に入った石塔がありますが、これが大石信重の墓塔です。五輪塔や宝篋印塔などの部分で構成されていますが銘文のある基礎石は宝篋印塔の形式であるので、本来は宝篋印塔であったと考えられます。銘文には次のように刻まれています。
直山守公菴主
正長三祀□□
廿八日巳剋
「直山守公」とは、大石信重の法名です。この石塔はいささか変形ながら中世の所沢地方を支配した大石氏の資料として貴重なものです。(所沢市教育委員会掲示より)

永源寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿