徳祥寺。足立坂東三十三ヶ所霊場
徳祥寺の概要
真言宗智山派寺院の徳祥寺は、三宝山自性院と号します。徳祥寺は、真言宗醍醐派の定徳僧都が開山となり、後西天皇代(1655-1663)に創建したといいます。足立坂東三十三ヶ所霊場16番、北足立八十八ヵ所霊場6番、武州足立百不動尊霊場45番です。
山号 | 三宝山 |
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院号 | 自性院 |
寺号 | 徳祥寺 |
本尊 | 正観音像 |
住所 | 戸田市美女木7-4-1 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
徳祥寺の縁起
徳祥寺は、真言宗醍醐派の定徳僧都が開山となり、後西天皇代(1655-1663)に創建したといいます。
戸田市教育委員会掲示による徳祥寺の縁起
真言宗智山派の寺院で、三宝山自性院と号します。江戸時代に真言宗醍醐派の定徳僧都の請願によって開山されたと伝えられています。本尊は聖観世音菩薩で、本堂には不動明王や弘法大師像なども安置されています。
「新編武蔵風土記稿」文政11年(1828)に、「徳祥寺 新義真言宗村内円通寺門徒 三宝山ト号ス 本尊正観音を安ス 観音堂 正観音ナリ」とあります。このあたりは、元来、美女木村の三宝谷と称するので山号を三宝山といい、寺号は開基法印の定徳の一字をとって、徳祥寺と名付け、後西天皇の代に建立されたものといわれています。
徳祥寺は三宝谷の観音様として知られ、宝永二年(一七〇五)に成立した足立坂東観音霊場の第十六番札所にあげられています。市指定文化財「千手観音供養絵図絵馬」は、文政五年(一八二二)に奉納されたものです。講の人たちが千手観音を囲んで観音経を唱えている様子を描いたもので、年号のある絵馬の中では市内で最も古いものです。
このほか、天保十三年(一八四二)の「源三位頼政の鵺退治」の絵馬や、応永十二年(一四〇五)銘の板石塔婆、江戸時代の庚申塔などがあります。(戸田市教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による徳祥寺の縁起
(美女木村)徳祥寺
新義真言宗、村内圓通寺門徒、三寶山と號す、本尊正観音を安ず
観音堂。正観音なり(新編武蔵風土記稿より)
徳祥寺の周辺図
- 千手観音供養絵図絵馬(戸田市指定有形文化財)
徳祥寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿