三学院。蕨市北町にある真言宗智山派寺院

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

三学院。中本寺格、関東百八地蔵霊場

三学院の概要

真言宗智山派寺院の三学院は、金亀山極楽寺と号します。三学院の創建年代は不詳ながら、中世の創建と考えられ、賢廣(慶長年間寂)が新義真言宗として開山、天正十九年には寺領20石の御朱印状を拝領、近隣に数多くの末寺を擁していた中本寺格の寺院であったといいます。関東百八地蔵霊場5番、足立坂東三十三ヶ所霊場20番、北足立八十八ヵ所霊場30番、武蔵東向寅薬師足立十二札所(南側)12番です。

三学院
三学院の概要
山号 金亀山
院号 三学院
寺号 極楽寺
本尊 十一面観世音菩薩立像
住所 蕨市北町3-2-4
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 三学院極楽殿
備考 和光幼稚園併設



三学院の縁起

三学院の創建年代は不詳ながら、中世の創建と考えられ、賢廣(慶長年間寂)が新義真言宗として開山、天正十九年には寺領20石の御朱印状を拝領、近隣に数多くの末寺を擁していた中本寺格の寺院であったといいます。

新編武蔵風土記稿による三学院の縁起

(蕨宿)三學院
新義真言宗、山城國醍醐三寶院末、金亀山極楽寺と號す、寺領二十石は天正十九年御朱印を附せらる、本尊十一面観音立像にて、長四尺許、慈覚大師の作、傍に如意輪観音を安せり、長一尺四寸許定頼の作、當所は坂東二十番の札所なり、開山賢廣は、慶長の末に寂す、中興開山を宥盛と云、此寺享保十年四月回禄の災に罹りて、旧記を失ひたれば総て詳ならず。
寺寶
不動画像弘法筆大姉、弘法大師自画像。上に賛辞あれど古物にして文字讀がたし。
大般若経二巻。何れも古い他にて奥書に将門末孫右兵衛平朝臣常重、建保三年乙亥十一月日と記す。
同別本一巻。是も古い他にして其奥書に、元徳三年六月上旬、以酷酒違犯銭貨刊當巻印板畢、願以此功、師僧父母、一切衆生、皆成佛道為、勧進沙門慶悦翁一校了とあり、此余古筆古画多く蔵すれど真偽詳ならず、考證に益なければ略す。
仁王門。中門。鐘楼、寶曆年中鋳造の鐘をかく。聖天社、弁天社、稲荷社、弥陀堂
塔中。大圓寺、本尊観音を安せり。(新編武蔵風土記稿より)


三学院所蔵の文化財

  • 三学院十一面観世音菩薩立像(蕨市指定有形文化財)
  • 三学院梵字馬頭観音塔(蕨市指定有形文化財)
  • 子育地蔵(蕨市指定有形文化財)
  • 六地蔵石仏(蕨市指定有形文化財)
  • 地蔵石仏(目疾地蔵)(蕨市指定有形文化財)
  • 徳川将軍家朱印状(蕨市指定有形文化財)
  • 宝篋印塔宝永二年銘(蕨市指定有形文化財)
  • 宝篋印塔寛政九年銘(蕨市指定有形文化財)
  • 阿弥陀一尊画像板碑(蕨市指定有形文化財)
  • 木食観正塔(蕨市指定有形文化財)
  • 三学院の藤(蕨市指定有形文化財)
  • 蕨宿関係墓石群(蕨市指定有形文化財)
  • 石川直中墓碑(蕨市指定有形文化財)

三学院梵字馬頭観音塔

この石塔は、塔身正面に、梵字馬頭観音「ナム・カヤグリーバ」(南無・馬頭観世音)を、筆太に陰刻し、左右側面、背面に刻銘を有する。
基礎正面を小判形に彫りくぼめて、馬の全形を斜めから生き生きと表現され、彫技の冴えを示している。
銘文から、江戸時代後期、寛政一二年(一八〇〇)二月に「小宮忠次郎、徳丸馬右エ門」両氏が世話人となって、宿場の安全息災を祈って造立されたものであろう。
また、三学院が、地域札所足立坂東二十番であることをこの石塔は示している。
石塔本尊の馬頭観音を梵字で表現しており、例の少ない貴重な石造物である。(蕨市教育委員会掲示より)

子育地蔵

この地蔵尊は、江戸時代初期の元禄7年(1694)に、三学院の法印秀鑁が中心となり、多くの人々の協力を得て造立された石造物です。丸彫りの立造物で、高さは約2.4mあり、江戸浅草橋(東京都台東区)の紀国屋平兵衛により造られた蕨市最大の地蔵尊です。人々に「子育地蔵」とよばれ親しまれており、火伏(火災防止)・開運・子育ての霊仏として、いまなお人々の信仰を集めています。
むかしは、中山道に面した三学院の参道入口に立っていましたが、何回か移転したのち現在地に移されました。
以前は、毎月4のつく日に縁日が開かれにぎわっていましたが、いまは8月24日に「地蔵の縁日」が開かれており、多くの人々に親しまれています。(蕨市教育委員会掲示より)

六地蔵石仏

この六地蔵は、江戸時代初期の寛文~元禄年間(1661~1704)にかけて造立された石造物です。
石仏は、いずれも基礎の上に一石から蓮台と地蔵菩薩立像を丸彫りにしており、蕨市内にある六地蔵のうちで最古、最大のものです。
右から三番目の石仏が始め造られ、のちに他の五体の石仏を造立し、六地蔵にしたものと思われます。
なお六地蔵とは、地蔵菩薩が六道(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)に分身し、人々を救済する姿を表しています。
もとは三学院の総門の前にありましたが、最近になって現在地に移されました。(蕨市教育委員会掲示より)

地蔵石仏(目疾地蔵)

この地蔵尊は、万治元年(1658)に念仏講を結んだ13人の人々が、「この世」と「あの世」の安楽を願って造立したものです。基礎の上に一石から蓮台と地蔵菩薩立像と舟形光背を彫り上げており、高さが約1.9mある大きな地蔵尊です。
一般に寛文年間(1661~73)をさかのぼる近世石造物は少なく、一部欠けているところはありますが、古い様式を今に伝える貴重なものです。
この地蔵尊は、「目疾地蔵」とよばれており、目に味噌を塗ると目の病気がなおる、あるいは目の病気にかからないといわれており、現在でも信仰の対象となっています。
もとは三学院境内の墓地入口にありましたが、最近になって現在地に移されました。(蕨市教育委員会掲示より)


三学院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿