観音寺。戸田市新曽にある真言宗智山派寺院

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観音寺。足立坂東三十三ヶ所霊場

観音寺の概要

真言宗智山派寺院の観音寺は、龍寶山愛染院と号します。観音寺の創建年代等は不詳ながら、庄(荘)和泉守秀永(法名道覚、寛永17年1640寂)が中興したといいます。足立坂東三十三ヶ所霊場18番、北足立八十八ヵ所霊場70番です。

観音寺
観音寺の概要
山号 龍寶山
院号 愛染院
寺号 観音寺
本尊 如意輪観音像
住所 戸田市新曽1791
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



観音寺の縁起

観音寺の創建年代等は不詳ながら、庄(荘)和泉守秀永(法名道覚、寛永17年1640寂)が中興したといいます。

戸田市教育委員会掲示による観音寺の縁起

真言宗智山派の寺院で龍寶山愛染院と号し、開基については史実を伝える的確な記録はありませんが、室町時代の末に庄(荘)和泉守秀永という人によって中興されたと伝えられています。江戸時代には御朱印地十五石が下付されています。
本尊は、如意輪観世音菩薩で、阿弥陀如来のほか、大日如来、十一面観世音菩薩、不動明王、地蔵菩薩、妙見菩薩など多数の仏像が安置されており、何れも優れた彫刻ですが、年代は不詳です。
現在の本堂は明治十三年の建立ですが、後に改修を重ねています。仁王門は正徳二年(一七一二)の建立で、仁王尊は元禄十一年(一六九八)造立と記録されています。また、境内には阿弥陀堂があり、千体の小阿弥陀如来立像が安置されています。そのほか建長五年(一二五三)の板碑(市内最古)や文禄四年(一五九五)の石灯籠など多数の市指定文化財があります。(戸田市教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起

(新曾村)観音寺
新義真言宗、元は横曽根村吉祥院末にて、寺域も荒川の岸にありしと云。今は京都智積院末なり。龍寶山愛染院と号す。本尊如意輪観音を安ず。毘首羯摩の作なり。開山亮誉慶長3年昨日寂す。中興の開基は庄和和泉守秀永と云。後剃髪して道覚と号す。寛永17年10月24日寂す。今按に境内に此道覚が文禄4年2月造立せし石燈籠あり。されば開山の僧と同時の人なり。思ふに中興せしにはあらず、開基の人ならん。此子孫今徳之丞とて村内にあり。家系を傳へざれば詳なることは知らず。新座郡橋戸村の民忠右衛門もかの子孫なりと云。其家の説に拠ば和泉守初め橋戸村に住せしが、後二男某を率来りて当村に移れりと云。然れば徳之丞はかの二男の子孫なるべし。
鐘楼。享保年中新造の鐘をかく。
稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)


観音寺所蔵の文化財

  • 観音寺千体仏(戸田市指定文化財)
  • 建長5年(1253)の板碑(戸田市指定文化財)
  • 文禄4年(1595)の石灯籠(戸田市指定文化財)
  • 文正の板碑(戸田市指定文化財)

観音寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿