多福院。戸田城主桃井中務少輔直和開基
多福院の概要
真言宗智山派寺院の多福院は、亀宝山能満寺と号します。多福院は、戸田城主桃井中務少輔直和(嘉慶2年1388年没、大偲院少軏兵範居士)が開基となり、定顕(応永5年1398年寂)を開山として、永徳2年(1382年)に創建したといいます。北足立八十八ヵ所霊場28番、武州足立百不動尊霊場41番です。

山号 | 亀宝山 |
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院号 | 多福院 |
寺号 | 能満寺 |
本尊 | 虚空蔵菩薩坐像 |
住所 | 戸田市本町3-4-3 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
多福院の縁起
多福院は、戸田城主桃井中務少輔直和(嘉慶2年1388年没、大偲院少軏兵範居士)が開基となり、定顕(応永5年1398年寂)を開山として、永徳2年(1382年)に創建したといいます。
戸田市教育委員会掲示による多福院の縁起
真言宗智山派の寺院で亀宝山能満寺と号します。
江戸時代正保の頃(一六四四~一六四八)まで旧上戸田村の荒川岸にありましたが、たび重なる大洪水のため今の地へ移ったといわれています。
古記録等はなく詳しいことはわかりませんが、「新編武蔵風土記稿」や伝承によると創建を永徳二年(一三八二)と伝え、戸田の城主桃井直和を開基とし、開山の僧を定顕としています。定顕は、応永五年(一三九八)に寂したとされています。
本尊は虚空蔵菩薩坐像です。
境内には、建武二年(一三三五)銘をはじめとする五基の板碑や、天明三年(一七八三)四月造立の石造の地蔵菩薩像などがあります。(戸田市教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による多福院の縁起
(上戸田村)多福院
新義真言宗、新曾村観音寺末、元は京都小野地蔵院末なりしが、正保の頃今の末寺となれり。其頃は村の南の方荒川の岸にありしが、洪水を患て後に今の地へ移せりと云。亀宝山能満寺と号す。当寺は桃井中務少輔直和が開基なり。此人は播磨神直常の子にして、嘉慶2年3月15日卒す。法謚を大偲院少軏兵範居士と号す。今子孫のこと下の旧家の條合せ見るべし。開山の僧を定顯と号す。応永5年3月7日寂せり。本尊虚空蔵を安ぜり。
稲荷社。当社は元荒川の岸にありしを、近き頃境内に移せりと云。
鐘楼、安永3年鋳造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)
多福院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿