吉定寺。埼玉県指定文化財の銅鐘
吉定寺の概要
曹洞宗寺院の吉定寺は、龍源山光善院と号します。吉定寺は、日下部兵右衛門吉定(法名吉定院格翁常越)が開基となり、文禄2年(1593)に創建、大雄玄序(慶長7年1602年寂)が開山したといいます。開基者日下部兵右衛門吉定が寄進した銅鐘は、埼玉県文化財に指定されています。
山号 | 龍源山 |
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院号 | 光善院 |
寺号 | 吉定寺 |
住所 | 寄居町立原505 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 聖観世音菩薩像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
吉定寺の縁起
吉定寺は、日下部兵右衛門吉定(法名吉定院格翁常越)が開基となり、文禄2年(1593)に創建、大雄玄序(慶長7年1602年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による吉定寺の縁起
(男衾郡立原村)
吉定寺
禅宗曹洞派、遠江國周知郡山名村大洞院末、龍源山光善院と號す、開山大雄玄序、慶長七年五月四日化す、開基は日下部兵右衛門吉定、法謚吉定院格翁常越なり、堂軒掛る處の鐘銘に略事跡を記す、武州那加郡廣木縣伏龍山大興禅寺住持玄智と刻するもの、年代考べからず、後鉢形城に持往て陣鐘に用ひしゆへ、銘文多く磨滅すと云、城廢せし後、文禄二年城内諏訪御手洗池より取出し時、始て當寺の鐘となる、其時彫添し文に、關東道武州鉢形領、龍源山吉定禅寺、日下部兵右衛門吉定、于時文禄二癸巳年四月二十八日とあり、後又入間郡塚越村西光寺に移て、年月を經安永五年再び當寺に復せし時の銘文をも彫添たり、本尊觀音を安ず、
天神社
白山社(新編武蔵風土記稿より)
吉定寺所蔵の文化財
- 銅鐘一口(埼玉県指定文化財)
新編武蔵風土記稿による吉定寺の縁起
この鐘は、鋳銅製で全高一二七cm、竜頭二七cm、笠形高八・八cm、鐘身高九一・二cm、口径七二・五cmである。
鐘身は外型を三段に分けて鋳造し、乳は四区に四段四列で配置され、上帯・中帯・下帯ともに無文で、撞座は二個である。中膨らみの円筒形に近い姿は、比較的古格を示している。
池ノ間全面に文禄二年(一五九三)銘のほか、延享四年(一七四七)及び安永五年(一七七六)の追刻銘が入り乱れているが、文禄二年に、当時この地方の代官をしていた日下部兵右衛門吉定が、自ら開基した吉定寺に寄進したと刻まれている。
この銅鐘は、県内において、近世初頭以前のものとして貴重であり、また、徳川家康の関東入国直後の鉢形領経営にあたった日下部氏の奉納銘があるなど、歴史資料としても興味深いものである。(埼玉県教育委員会・寄居町教育委員会掲示より)
吉定寺の周辺図