下細谷天神社。下細谷村の鎮守として寛文元年創建
下細谷天神社の概要
下細谷天神社は、比企郡吉見町下細谷にある神社です。下細谷天神社は、下細谷村の鎮守として寛文元年(1661)に創建、明治4年村社に列格、明治40年無格社熊野社を当社に合祀、無格社愛宕社と無格社諏訪社を境内に移転したといいます。
社号 | 天神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | 愛宕神社、諏訪社 |
祭日 | 例祭7月5日、春祭3月25日、秋祭り10月17日 |
住所 | 比企郡吉見町下細谷313-1 |
備考 | - |
下細谷天神社の由緒
下細谷天神社は、下細谷村の鎮守として寛文元年(1661)に創建、明治4年村社に列格、明治40年無格社熊野社を当社に合祀、無格社愛宕社と無格社諏訪社を境内に移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による下細谷天神社の由緒
(下細谷村)
天神社
村の鎮守なり、照明寺持、下二社同じ、
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諏訪社
愛宕社(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による下細谷天神社の由緒
天神社<吉見町下細谷三一三-一(下細谷字中)>
社伝によると、当社の創建は寛文元年(一六六一)七月五日のことである。その後、天保十四年(一八四二)十一月に本殿を、嘉永四年(一八五一)三月に幣殿・拝殿をそれぞれ造営した。
造営史料としては、本殿の石造台座に刻む銘文がある。これには「天保十四癸卯年十一月吉祥日」の年紀があり、別当照明寺をはじめ、同じ地内にある明王院の法印盛秀の名や世話人らの名が見える。現在の本殿はこの時のものと伝え、精緻な彫刻が施された秀逸な造りである。内陣に奉安する神牌には、中央に「十一面観世音菩薩」、その左右に「天満宮本地佛」「彌勒菩薩」と刻まれ、神仏習合の模様を伝えている。
『風土記稿』下細谷村の項には「天神社 村の鎮守なり、照明寺持」とある。この照明寺は幕末に火災に遭い廃寺になったと伝えられる。
明治四年に村社に列し、同四十年には字東上の無格社熊野社を当社に合祀し、併せて字中の無格社愛宕社と字諏訪の無格社諏訪社を境内に移転した。
なお、当社には、寺子屋教育の模様を描いた奉納額(天文元年・一八六四)があり、往時地内で寺子屋が行われていたことがわかる。(「埼玉の神社」より)
下細谷天神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)