今泉氷川神社。大宮氷川神社を永仁5年勧請
今泉氷川神社の概要
今泉氷川神社は、比企郡吉見町今泉にある神社です。今泉氷川神社は、荒川の氾濫に悩まされてきた当地に川を鎮める神として武蔵国一の宮の氷川神社の分霊を永仁5年(1297)勧請したといいます。明治4年村社に列格、明治45年弁天社を合祀しています。

社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 大神宮、三峰、堀田大明神 |
祭日 | 例祭7月14/15日 |
住所 | 比企郡吉見町今泉254 |
備考 | - |
今泉氷川神社の由緒
今泉氷川神社は、荒川の氾濫に悩まされてきた当地に川を鎮める神として武蔵国一の宮の氷川神社の分霊を永仁5年(1297)勧請したといいます。明治4年村社に列格、明治45年弁天社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による今泉氷川神社の由緒
(今泉村)
氷川社
村の鎮守なり、遍照寺持、
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辨天社
東光寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による今泉氷川神社の由緒
氷川神社<吉見町今泉一一九九(今泉字竹ノ町)>
口碑によれば、当社は、永仁五年(一二九七)に武蔵国一の宮の氷川神社(大宮市鎮座)の分霊を勧請したものであるという。鎮座地の今泉は、荒川右岸の自然堤防及び低地に位置し、度々水害を被ってきたことから川を鎮める神として氷川神社を祀ったものと思われる。
江戸時代、当社の祭祀に当たったのは、真言宗の遍照寺であった。遍照寺は氷川山と号し、当社の南二〇〇メートルほどの所にあったが、神仏分離の後は廃寺となり、今では墓地と観音堂に名残をとどめるばかりである。『風土記稿』では、当社のほかに村内の神社として、東光寺持ちの弁天社、南学院持ちの稲荷社、長福寺持ちの八王子社の名が見える。東光寺は天台宗、南学院は修験、長福寺は真言宗の寺院で、いずれも村内にあったが、神仏分離によって廃寺になった。また、これらの諸社のうち、弁天社は明治四十五年六月に当社に合祀された。
当社は、更に、文久二年(一八六二)には本殿、慶応三年(一八六七)には拝殿が造営されたと伝えられ、明治四年に村社となった。境内は、集落の北端近くにあり、樹齢三〇〇年以上といわれる本殿裏の神木の杉に、歴史の古さが感じられる。当社の境内には、本殿と拝殿の造営に伴って奉納されたと思われる手水鉢が一基ずつあるが、そのうち慶応銘のものは手水鉢には珍しく猫足である。(「埼玉の神社」より)
今泉氷川神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)