地頭方天神社。地頭方村の鎮守として天明2年創建
地頭方天神社の概要
地頭方天神社は、比企郡吉見町地頭方にある神社です。地頭方天神社は、天明2年(1782)地頭方村の鎮守社として創建、明治4年村社に列格したといいます。
社号 | 天神社 |
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祭神 | 天照皇大神 |
相殿 | - |
境内社 | 頭殿神社、御嶽・八海・三笠など |
祭日 | 夏祭7月24日 |
住所 | 比企郡吉見町地頭方526 |
備考 | - |
地頭方天神社の由緒
地頭方天神社は、天明2年(1782)地頭方村の鎮守社として創建、明治4年村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による地頭方天神社の由緒
(地頭方村)
天神社
村の鎮守、法永寺の司る所なり、下三社共に同持、
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通殿社
稲荷社
社口社(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による地頭方天神社の由緒
天神社<吉見町地頭方九九九(地頭方字矢島)>
地頭方は荒川右岸の低地に位置する。地名の由来は荘園の管理のために補任された地頭の存在に由来するという。
『明細帳』によると、当社の創建は天明二年(一七八三)三月のことである。その後の事歴を境内の石造物から拾うと、まず寛文八年(一七九六)の「願主当村総氏子中・斎藤林右衛」による石灯籠の奉納、次いで翌九年の「当村惣氏子中」による石鳥居の建立、更に天保三年(一八三二)に再び「当村氏子中」による石灯籠の奉納があった。また嘉永七年(一八五四)には「地頭方邑氏子中・世話人脇屋平次郎(外三名)連経中」が手水鉢を寄進した。下って昭和九年の伊勢参宮記念碑には「吾々一同伊勢参宮記念トシテ土地ヲ買収シ表参道ヲ改築シ之ヲ奉献ス」と刻まれている。これらの奉納物は、当社が創建当初から村の鎮守として崇敬を集めてきたことを如実に物語る。
『風土記稿』には「天神社 村の鎮守、法水寺の司る所なり」とある。これに見える法水寺は今泉村金剛院末の真言宗の寺院であるが、すでに廃寺となっている。
明治四年六月に村社となった。その後、同二十六年十月に社殿が焼失したが、翌二十七年三月には再建を行った。
なお、『明細帳』に大正元年に字西通の弁天社と字東通の稲荷社を当社に合祀した記事が載るが、二社共に今も旧地に鎮座している。(「埼玉の神社」より)
地頭方天神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)