金剛院。吉見町指定文化財の銅板経入宝篋印塔
金剛院の概要
真言宗智山派寺院の金剛院は、今泉山萬福寺と号します。金剛院の創建年代等は不詳ながら、良怪が開山、真言宗寺院としての開山は珍範(文禄4年1596年寂)だといいます。江戸期には慶安元年(1648)に寺領10石の御朱印状を拝領、末寺30ヶ寺を擁する本寺格の寺院だったといいます。当寺の銅板経入宝篋印塔は吉見町文化財に指定されています。
山号 | 今泉山 |
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院号 | 金剛院 |
寺号 | 萬福寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 比企郡吉見町今泉351 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
金剛院の縁起
金剛院の創建年代等は不詳ながら、良怪が開山、真言宗寺院としての開山は珍範(文禄4年1596年寂)だといいます。江戸期には慶安元年(1648)に寺領10石の御朱印状を拝領、末寺30ヶ寺を擁する本寺格の寺院だったといいます。
新編武蔵風土記稿による金剛院の縁起
(今泉村)金剛院
今泉山萬福寺と號す、新義眞言宗、御所村息障院の末、慶安元年寺領十石を賜はる、今末寺三十に至る、開山良怪寂年を傳へず、法流開山珍範は文禄四年示寂す、本尊不動を安ず、
山門。樓上に鐘をかく、寛永七年鑄造す、後破れて承應三年再鑄せり、(新編武蔵風土記稿より)
金剛院所蔵の文化財
- 金剛院銅板経入宝篋印塔(吉見町指定文化財)
金剛院銅板経入宝篋印塔
安永二年(一七七三)に建立されたこの宝篋印塔の塔身内部の納入札には宝篋印陀羅尼の経文が刻まれた銅の板(縦一四・三cm、横三六cm、厚さ約一mm)が丸められ納められています。
銅板経の外側の面には「岩殿山主観蓮彫刻之」とあり、当時の安楽寺第九世住職であった観蓮の手によって刻まれたものであることがわかります。内側の面には経文が二〇行にわたり二六五文字の梵字によって丁寧に彫られています。
銅板経を塔の内部に納めることで衆生界への功徳や先祖の菩提を弔うことを願ったものと考えられます。
銅板経は全国的にも類例が少なく、特に石造物の内部から発見された例は貴重であり、重要な歴史資料となります。(吉見町教育委員会掲示より)
金剛院の周辺図