上砂氷川神社。稲村家氏神の氷川社を分祀
上砂氷川神社の概要
上砂氷川神社は、比企郡吉見町上砂にある神社です。上砂氷川神社は、稲村家の初代新左衛門(明暦年間1655-1658没)が稲村家の氏神として創祀(上砂村本田)した氷川社を分祀して創建、宝永2年(1705)宗源宣旨により氷川大明神の神号を授かり、上砂村新田の鎮守となったといいます。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 三峰社、八雲社 |
祭日 | - |
住所 | 比企郡吉見町上砂24 |
備考 | - |
上砂氷川神社の由緒
上砂氷川神社は、稲村家の初代新左衛門(明暦年間1655-1658没)が稲村家の氏神として創祀(上砂村本田)した氷川社を分祀して創建、宝永2年(1705)宗源宣旨により氷川大明神の神号を授かり、上砂村新田の鎮守となったといいます。
新編武蔵風土記稿による上砂氷川神社の由緒
(上砂村)
氷川社二宇
村の鎮守なり、觀音寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による上砂氷川神社の由緒
氷川神社氷川神社<吉見町上砂一七七(上砂字窪町)>
比企郡の東部に当たる荒川右岸の低地には、氷川神社が南北に帯状に分布する。当社はこのうちの一社であり、大字上砂の鎮守として祀られている。
『風土記稿』上砂村の項に「氷川社二宇 村の鎮守なり、観音寺持」とあるように、元来、上砂には氷川社が二社あり、それぞれ本田・新田の鎮守として奉斎されていた。本田の氷川社は稲村家の氏神として祀られ、後に本田の鎮守となったと伝えられている。稲村家の初代新左衛門は明暦年間(一六五五-五八)に没していることから、それ以前に創建したものと考えられる。本田・新田の関係からみて、その後の新田開発に伴い、この本田の氷川社を新田に分祀したものであろう。ちなみに、新田の検地は寛文十二年(一六七二)に行われた。
宝永二年(一七〇五)には、二社共に神祇管領から大明神号を拝受した。これにより名実共に二社が村の鎮守としての地位を確立したことは想像するに難くない。事実、明和四年(一七六七)の「上砂村青蓮山観音寺起立書」には「正一位氷川大明神 二社惣鎮守免田有之」と記している。
明治初年の社格制定に際して、本田の氷川神社はもともと稲村家の氏神であったことを理由に旧に復し、新田の氷川神社が村社に列した。これが、現在の当社である。(「埼玉の神社」より)
境内石碑よによる上砂氷川神社の由緒
御社殿造営顕彰碑
當社の御創建は不詳であるが寶永二年十月宗源宣旨により氷川大明神の神号を授かり翌三年御社殿が造営される等往古より郷人が厚き崇敬を集めていたことが窺える。昭和五十年には御本殿覆殿の改築をなす等その尊厳護持に万全を期して参りましたが近年老朽化が進み御造営やむなしと思われし折東京都北区滝野川鎮座八幡神社宮司青井哲水氏より堂地御在住の氏子にして當地上砂ご出身の山本うめ氏(旧姓稲原)御社殿造営費御奉納の御趣旨を賜り早速に御造営委員会を発足して御造営に着手今般荘厳なる御社殿が竣工なり氏子一同感激の極みであり今後更なる正心誠意を尽くし祭祀の厳修と御神徳の宣揚を約し両氏の赤誠の御功績を末長く顕彰するものである。平成十八年十二月吉日(境内石碑より)
上砂氷川神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)