青蓮山観音寺。比企郡吉見町上砂にある真言宗智山派寺院
観音寺の概要
真言宗智山派寺院の観音寺は、青蓮山と号します。観音寺の創建年代等は不詳ながら、重榮(寛永21年1644年寂)が開山、広い地域から信仰を集めていたといいます。
山号 | 青蓮山 |
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院号 | - |
寺号 | 観音寺 |
本尊 | - |
住所 | 比企郡吉見町上砂、上砂研修所 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観音寺の縁起
観音寺の創建年代等は不詳ながら、重榮(寛永21年1644年寂)が開山、広い地域から信仰を集めていたといいます。
新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起
(上砂村)
觀音寺
新義眞言宗、今泉村金剛院の末、青蓮山と號す、本尊不動を安ず、開山僧重榮は寛永廿一年八月十五日寂す、
觀音堂(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による観音寺の縁起
上砂墓地整備記念碑
当所青蓮山観音寺の開基は不詳であるが明和四年に住職賢隆法師が書き残した寺の起立書によると境内八反歩檀家弐百軒本堂阿弥陀堂庫裏などを備えており天和弐年建立の供養塔には近接旧四拾五ヶ町村名が刻まれて在り当時は広い地域から信仰を集めていた御威光他き菩提寺であった。然し今はその面影すらなく昭和四拾七年施行の圃場整備事業に依り寺の周辺も道路が整備され第二次整備改善事業に於て本堂跡に農村研習所が新築されるなど文化施設が整い良き集いの場と変った。
一方墓地の状態のみ依然として昔のままで保持されて来たが墓域は益々狭隘となり環境衛生の面から墓地整備の必要性が望まれ関係者一同の賛同を得て墓地整備委員会をつくりその企画に着手昭和五拾八年拾月弐日起工し関係者の理解と協力を得ながら漸くにして近代的霊園が完成した。(境内石碑より)
観音寺の周辺図