北吉見八坂神社。大沢重夫家の屋敷の北側に長保3年奉斎
北吉見八坂神社の概要
北吉見八坂神社は、比企郡吉見町北吉見にある神社です。北吉見八坂神社の創建年代等は不詳ながら、大沢重夫家の屋敷の北側に長保3年(1001)祀られていたといいます。明治4年村社に列格、明治40年字九ノ地の庚申社、字八ノ耕地の稲荷社、字五ノ耕地の愛宕社・春日社の無格社五社を合祀しています。
社号 | 八坂神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭7月15日 |
住所 | 比企郡吉見町北吉見1640 |
備考 | - |
北吉見八坂神社の由緒
北吉見八坂神社の創建年代等は不詳ながら、大沢重夫家の屋敷の北側に長保3年(1001)祀られていたといいます。明治4年村社に列格、明治40年字九ノ地の庚申社、字八ノ耕地の稲荷社、字五ノ耕地の愛宕社・春日社の無格社五社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による北吉見八坂神社の由緒
(根小屋村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による北吉見八坂神社の由緒
八坂神社<吉見町北吉見一六四〇(北吉見字二十八耕地)>
大字北吉見は、吉見丘陵の南西部に位置し、地内に古墳後期の吉見百穴横穴墓群(国史跡)、新田義貞が築いたと伝える松山城跡(県史跡)があることで知られている。
当社の鎮座地は、氏子集落から離れた北外れにあり、昔は大変に寂しい所であった。また、裏手の丘陵は天王山の地名で呼ばれている。
『明細帳』に「創立ハ長保年中(九九九-一〇〇四)ナリト云伝フ」とあるが、『郡村誌』には「長保三年(一〇〇一)に創建し、元民有地たりしを、延宝六年(一六七八)社地となす」と載せる。
一方、口碑によれば、天王様は元は、大沢重夫家の屋敷の北側に祀られていたという。これは、本来当社が大沢家の氏神であったことを物語るもので、『郡村誌』に見える社地の変遷の記事は、同家の氏神から村の鎮守となった経緯を示すものと考えられる。ちなみに、同家は氏子集落の中央に居を構え、当主で一五代を数える旧家である。
明治四年に村社となり、同四十年に字九ノ地の庚申社、字八ノ耕地の稲荷社、字五ノ耕地の愛宕社・春日社の無格社五社を合祀した。昭和六年の社殿再建に際し、参詣の便を図り集落の中央に遷座しようとの声も上がったが、実行に移されず現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
北吉見八坂神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)