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吉見百穴。比企郡吉見町北吉見にある旧跡・名所

吉見百穴の概要

吉見百穴は、比企郡吉見町北吉見にある名所旧跡です。吉見百穴は、古墳時代後期に死者を埋葬する墓穴として作られた穴群で、7世紀頃に築かれた墓群です。大正12年には我が国の代表的な横穴群として、国の史跡に指定されています。

吉見百穴
吉見百穴の概要
旧跡・名所名 吉見百穴
みどころ 旧跡
区分 -
住所 比企郡吉見町北吉見327
備考 -




吉見百穴の縁起

吉見百穴は、古墳時代後期に死者を埋葬する墓穴として作られた穴群で、7世紀頃に築かれた墓群です。大正12年には我が国の代表的な横穴群として、国の史跡に指定されています。
吉見百穴は吉見丘陵の西側に位置していますが、東側には黒岩横穴墓群があります。

新編武蔵風土記稿による吉見百穴について

該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)

吉見町・埼玉県掲示による吉見百穴について

吉見百穴
「百穴」の名が文献にみられるのは今から約二百年前からで、江戸時代の中頃には「百穴」の呼び名も生まれ、不思議な穴として興味をもたれていたと思われる。吉見百穴が科学的に検討されだしたのは明治になってからで、内外の著名な考古学者によって調査が行われ、横穴の性格をめぐってさまざまな意見が発表された。
明治二十年、坪井正五郎氏(当時東京大学院生)によって大発掘が行われ、人骨、玉類、金属器、土器類が出土した。坪井氏はこの横穴を土蜘蛛人(コロボックル人)の住居作られたもので、のちに墓穴として利用されたものであると発表した。しかし、大正時代になると、考古学の発達によって、各地で横穴の発見、発掘がなされ、出土品や横穴の構造から、この横穴は、古墳時代の後期に死者を埋葬する墓穴として作られたものであることが明らかにされ、「住居説」は、くつがえされることとなった。そして、大正十二年には、「吉見百穴」は我が国の代表的な横穴群として、国の史跡に指定された。
戦時中、横穴群のある岩山に地下工場の建設が行われ数十基の横穴がこわされたが、戦後、吉見百穴保存会が結成されて、積極的な保存管理が行われ今では「吉見百穴」は多くの人々に愛され親しまれる史跡となっている。
また、最低部の二つの横穴に、底や壁からかすかな緑色の光りを発しているヒカリゴケがある。このコケは、山地に多く、平野にあるのは、植物分布上、きわめて貴重とされ国指定天然記念物となっている。(吉見町・埼玉県掲示より)


吉見百穴の周辺図


参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」