前河内日吉神社。日吉大社を勧請
前河内日吉神社の概要
前河内日吉神社は、比企郡吉見町前河内にある神社です。前河内日吉神社は、文亀2年(1502)に近江国の日吉大社を勧請して創建、前河内村の鎮守社だったといいます。
社号 | 日吉神社 |
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祭神 | 日吉大神、大山咋命 |
相殿 | - |
境内社 | 若宮社、大穴社、八幡社、天神社 |
祭日 | 例祭4月15日、秋祭12月14日 |
住所 | 比企郡吉見町前河内1 |
備考 | - |
前河内日吉神社の由緒
前河内日吉神社は、文亀2年(1502)に近江国の日吉大社を勧請して創建、前河内村の鎮守社だったといいます。
新編武蔵風土記稿による前河内日吉神社の由緒
(前河内村)
山王社
村の鎮守なり、最勝寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による前河内日吉神社の由緒
日吉神社<吉見町前河内一(前河内字中側通)>
社伝によると、当社は文亀二年(一五〇二)に近江国の日吉神社から勧請したという。
社蔵資料として宝暦六年(一七五六)の社殿棟札がある。これには「祭主高橋内記源照朝」「願主江戸下谷各■籐八郎」「世話人筑井平四郎・恩田伴七・福田杢右衛門・高橋武兵衛」らの名が見える。また、元文四年(一七三九)から宝暦五年(一七五五)までの十七年間をかけて、神官が氏子から毎年二季の初穂を取り集めて金二〇両を調え、社殿の造営費に充てた旨が記されている。
『風土記稿』には「山王社 村の鎮守なり、最勝寺持」とある。これに見える最勝寺は真言宗の寺院で、江戸初期の草創と伝えられる。
恐らくは、別当の最勝寺とは別に、先の棟札に「祭主」としてその名が見える高橋家が社人として日常の祭祀を司っていたものであろう。内陣に奉安されている金幣の墨書には「大正拾年奉納当社社掌高橋泰全」と記されている。
現本殿は宝暦六年造営当時のものと思われ、重量感のある堂々とした三間社流造りである。その形式から三柱を祀ったものと考えられるが、棟札には「日吉大神・大山咋命」の二柱を伝えるのみである。なお昔この地は下総国佐倉藩の所領であった時代があり、藩主により惣五様(佐倉惣五郎の霊)が当社に祀られたという伝承がある。(「埼玉の神社」より)
前河内日吉神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)