最勝寺。比企郡吉見町前河内にある真言宗智山派寺院
最勝寺の概要
真言宗智山派寺院の最勝寺は、湯養山法養院と号します。最勝寺の創建年代等は不詳ながら、慶長年間(1596-1615)に創建、芳光坊が開山したといいます。
山号 | 湯養山 |
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院号 | 法養院 |
寺号 | 最勝寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 比企郡吉見町前河内44 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
最勝寺の縁起
最勝寺の創建年代等は不詳ながら、慶長年間(1596-1615)に創建、芳光坊が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による最勝寺の縁起
(前河内村)最勝寺
新義真言宗、御所村息障院末、湯養山法養院と號す、不動を本尊とす、開山は芳光坊とのみ傳へり、
薬師堂(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による最勝寺の縁起
湯養山最勝寺縁起
当山は湯養山法養院最勝寺(薬王院の説もあり)と号し本山を京都の智積院とする真言宗智山派の法灯を受け継ぐ寺院である。その開基は詳らかではないが当山に現存する書物によれば慶長年間即ち江戸時代以前の創建と推察される。開山を芳光坊と称し現在で二十七世を数える。当山の本尊は不動明王であり本堂は宝永年間九世弘典代に再建され、寛文八年十世弘卓代に薬師堂建立、文書によれば「数多の信者競って寄進せられ以てこの壮麗なる建築を見るに至れり。当時崇拝の夥多なること推して知るべし」とあり、さらに十一世知山代に阿弥陀堂の建立を見る。また地域に於いては八世傳翁代(元禄年間)に当山に於いて寺子屋の開設を記す文書あり当時の当山の隆盛を窺い知ることが出来る。
爾来幾多の星霜を経て大正年間二十五世周覚代に薬師堂の修繕並びに現本堂の落成を見る。その後昭和期に入り薬師如来並びに諸尊の盗難さらには薬師堂の老朽化に伴い昭和五十年第ついに薬師堂の解体に踏み切る。その後久しく堂宇を欠くも平成二入り地域住民をはじめとする有縁の有志らその浄志一丸となって平成十一年二月七日薬師堂の再建並びに薬師如来の入佛開眼法要を厳修す。続く平成十三年七月十五日、老朽化の進んだ本堂の改修工事と、本尊不動明王の修繕さらに十八年三月本堂の増設工事を行なう。ここに本尊・祖師ご加護の下この平成の大事業の無魔成満を記念すると共に、山内安全・興隆仏法・檀信徒健勝を祈念してここにこの碑を建立するものなり。南無大師遍照金剛 合掌(境内石碑より)
最勝寺の周辺図