大串氷川神社。比企郡吉見町大串の神社

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大串氷川神社。大串次朗重親が大宮氷川神社を勧請

大串氷川神社の概要

大串氷川神社は、比企郡吉見町大串にある神社です。大串氷川神社は、源平合戦や源頼朝の奥州征伐で功をあげた武将大串次朗重親が武蔵国一の宮の氷川神社(現大宮氷川神社)を勧請したと伝えられ、大串村の鎮守社として崇敬を集めてきたといいます。

大串氷川神社
大串氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 稲荷社、愛宕社
祭日 -
住所 比企郡吉見町大串613
備考 -



大串氷川神社の由緒

大串氷川神社は、源平合戦や源頼朝の奥州征伐で功をあげた武将大串次朗重親が武蔵国一の宮の氷川神社(現大宮氷川神社)を勧請したと伝えられ、大串村の鎮守社として崇敬を集めてきたといいます。

新編武蔵風土記稿による大串氷川神社の由緒

(大串村)
氷川社
村の鎮守なり、觀音寺の持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による大串氷川神社の由緒

氷川神社氷川神社<吉見町大串六一三(大串字上西)>
武蔵七党の一つ横山党の大串氏は、八王子市由木に住する由木氏から分かれた一派で、当地を本貫とし、前河内・江綱・久保田などを領したという。中でも、大串次郎重親は、寿永三年(一一八四)の宇治川の先陣で平家と戦ってその名を馳せ、更に、文治五年(一一八九)の源頼朝の奥州征伐に従って戦功のあったことでよく知られており、その後も戦国時代まで、鎌倉管領方に属し、武功を立てている。
当地の開発は、この大串氏によって進められたものと考えられる。もちろん、それまでにも人家があり、農業が行われていたと思われるが、少なくとも、開墾を進め、現在の村の基礎を築いたのは、大串氏であったといってよいであろう。当社は、社伝によれば、大串重親が武蔵国一の宮の氷川神社(現大宮氷川神社)を勧請したものとされ、祭神は須佐之男命である。大串氏と氷川神社との関連については明らかではないが、須佐之男命が農業の神であることや、その霊威によって荒川の氾濫を鎮めてくれるという信仰がみられることから、開発が順調に進むことを祈って氷川神社を祀ったものと思われる。
また、『比企郡神社誌』には「口碑に永徳(一三八一-八四)及び元禄(一六八八-一七〇四)の社殿造営を伝ふる」との記事があり、境内の享保十七年(一七三二)銘の石灯籠には「正一位氷川大明神」とあることから、江戸中期には極位が授与されていたことがわかる。(「埼玉の神社」より)


大串氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)