大和田浅間神社。富士山本宮浅間神社を元禄2年勧請
大和田浅間神社の概要
大和田浅間神社は、比企郡吉見町大和田にある神社です。大和田浅間神社は、富士山本宮浅間神社を勧請して元禄2年(1689)創建したといいます。
社号 | 浅間神社 |
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祭神 | 木花開耶姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 浅間宮 |
祭日 | 例祭7月14日 |
住所 | 比企郡吉見町大和田338 |
備考 | - |
大和田浅間神社の由緒
大和田浅間神社は、富士山本宮浅間神社を勧請して元禄2年(1689)創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による大和田浅間神社の由緒
(大和田村)
淺間社
同(大輪寺)持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大和田浅間神社の由緒
浅間神社<吉見町大和田三三八(大和田字下西谷町)>
富士浅間信仰は、室町末期から江戸初期に長谷川角行という行者が現れて、その教義を整え、富士講を広めたことから、東日本の農村において急速な浸透を遂げた。当社もこのような富士信仰の流布の中で建立された社の一つである。
社伝によれば、創建は元禄二年(一六八九)のことで、駿河国の富士山本宮浅間神社からの勧請である。享保六年(一七二一)には村人一六戸によって社殿の再建が行われたという。
鎮座地は大字大和田の南西の外れにある。これは、氏子集落から見て富士山が南西の方角に望まれることにちなんでいる。
『風土記稿』大和田村の項には「稲荷雷電合社 小名堤根の鎮守なり、蚊斗谷村の界にあり、彼村大行院持、彼村民も産神とす。稲荷社、村の鎮守なり、大輪寺持。浅間社 同持」と当社を含む三社が載せられている。これに見える大輪寺は稲荷社の西側にあった真言宗の寺院(明治三十一年火災により焼失)で、「名主惣左衛門が先祖、小沢惣左衛門道繁開基す」と記されている。
明治四年の社格制定に際し、無格社となったが、幸いにも合祀されることなく今日に至っている。近年では、昭和六十二年に社殿の改築を行った。なお、当社が「上浅間」と呼ばれるのに対し、境内にある石祠は「下浅間」の名称で呼ばれている。(「埼玉の神社」より)
大和田浅間神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)