大輪寺。比企郡吉見町東野にある真言宗智山派寺院

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大輪寺。大和田村名主家の祖小澤惣左衛門道繁が開基

大輪寺の概要

真言宗智山派寺院の大輪寺は、比企郡吉見町東野にあります。大輪寺は、小澤惣左衛門道繁(大和田村名主家の祖)が当地に移住、慶長年間(1596-1615)に当時を開基したといいます。明治6年には大和田小学校に供用されていました。

大輪寺
大輪寺の概要
山号 -
院号 -
寺号 大輪寺
本尊 不動明王像
住所 比企郡吉見町東野5-17、大和田霊園
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



大輪寺の縁起

大輪寺は、小澤惣左衛門道繁(大和田村名主家の祖)が当地に移住、慶長年間(1596-1615)に当時を開基したといいます。明治6年には大和田小学校に供用されていました。

新編武蔵風土記稿による大輪寺の縁起

(大和田村)
大輪寺
新義真言宗、御所村息障院の門徒なり、本尊は不動を安ず、名主惣左衛門が先祖、小澤惣左衛門道繁開基す、(新編武蔵風土記稿より)

境内石碑による大輪寺の縁起

大和田霊園記念碑
永享十年「一四一九年」鎌倉の管領、足利持氏から鍛冶守吉へ大和田の地を賜う。というのが大和田の始めである。其の後約百五十年を経た文禄年中、小沢氏の祖、道繁が移り住み、慶長年間に大輪寺と共に墓地を開いたとあり、朝夕霊供したというのが大輪寺のいわれで、今から三百八十年余も昔のことである。爾来、大輪寺は御所息障院の門葉の一寺であった。慶長、寛文、延宝、文化と世は移り、天保十二年に至って、江戸旗本の知行地とされ、農民は長い間年貢は勿論、淺草蔵前への舟運に苦労を重ねたのである。其の間、大輪寺は除地六畝七歩を持地として、大和田六十余戸の菩提寺として、香華の煙りの断ゆることはなかった。明治六年、大和田小学校が、大輪寺に開設され同十九年大盛小学校と改名され、内郷全区域の指定を収容し、読書の声は堂に溢れたという。然るに、明治三十一年、失火に遇い、灰燼に帰したのである。それより、大輪寺の昔を語る村人はあっても、辿るべき、よすがも無い八十餘年であった。
時の流れは、文化の発達と共に大きく変り、墓所をも現場を看過するに偲びずず、関係者一同相寄、協議を重ね、有史以来始めての一大整備事業の断行することを決意し、新たに一堂を建立し、本尊不動明王像を安置して、明るく、衛生的な、近代霊園として造営し、私達の祖先や、たくさんの、有縁、無縁の精霊を慰め安らかに眠れる霊場として後世に誇り得るものを残したい所存です。(境内石碑より)


大輪寺の周辺図