無量寺。比企郡吉見町久保田にある真言宗智山派寺院

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無量寺。比企郡吉見町久保田にある真言宗智山派寺院

無量寺の概要

真言宗智山派寺院の無量寺は、愛宕山壽命院と号します。無量寺の創建年代等は不詳ながら、慶圓が開山、慶長6年(1601)徳川家康が鷹狩りの際の休息所となり、寺領10石(分の田畑)を拝領、慶安元年(1648)に御朱印状を拝領したといいます。中武蔵七十二薬師58番、武州八十八所霊場40番です。

無量寺本堂
無量寺の概要
山号 愛宕山
院号 壽命院
寺号 無量寺
本尊 不動明王像
住所 比企郡吉見町久保田1380
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



無量寺の縁起

無量寺の創建年代等は不詳ながら、慶圓が開山、慶長6年(1601)徳川家康が鷹狩りの際の休息所となり、寺領10石(分の田畑)を拝領、慶安元年(1648)に御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による無量寺の縁起

(久保田村)無量寺
新義眞言宗、御所村息障院の末、古は来迎山と云、後改て今は愛宕山壽命院と號す、慶長六年東照宮御放鷹の次渡御有し時、寺領十石を賜旨、伊奈備前守が出せし證状あり、其後慶安元年御朱印に替給はれり、大猷院殿の御代まで、凡四度御放鷹の時の御休息所となりしと云、本尊不動を安ず、開山慶圓、寂年を傳へず、
阿彌陀堂。按に水谷幡龍記に、天文八年己亥、結城政勝武州大串陣の時、幡龍從へり、陣場に阿彌陀堂同鐘あり、幡龍是を持え歸る、今城の鐘是なり、鐘に武州吉見郡大串郷窪田村阿彌陀堂鐘とあり、記者おもへり、伊勢守國替の時、芳全寺にをさめて今に是ありと見ゆ、芳全寺は其所在をしらず、阿彌陀堂は則當寺の堂なるべし、
御茶屋跡。客殿の傍なり、寛文十一年に廢せりとぞ、
御腰掛松。客殿の前にあり大さ一圍餘、爰も御成の時、御腰を掛させたれしに依て名とせり、
惣門。一夜門と呼ぶ、御成の時俄に造立せし故、かく唱へりと、(新編武蔵風土記稿より)


無量寺の周辺図