法教山薬王寺。比企郡吉見町中新井にある真言宗智山派寺院
薬王寺の概要
真言宗智山派寺院の薬王寺は、法教山と号します。薬王寺の創建年代等は不詳ながら、康安2年(1278)の創建と伝えられ、蓮華寺・隆源寺(現存せず)と共に息障院の末寺だったといいます。
山号 | 法教山 |
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院号 | - |
寺号 | 薬王寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 比企郡吉見町中新井 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
薬王寺の縁起
薬王寺の創建年代等は不詳ながら、康安2年(1278)の創建と伝えられ、蓮華寺・隆源寺(現存せず)と共に息障院の末寺だったといいます。
新編武蔵風土記稿による薬王寺の縁起
(中新井村)薬王寺
法教山と號す不動を本尊とす、新義眞言宗、御所村息障院の末なり、
薬師堂(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による薬王寺の縁起
薬王寺霊園整備記念碑
法教山薬王寺墓地はその橋端を蓮華寺・隆源寺(現存せず)と共に当時の横見郡中新井村における息障院の百余ヶ寺の末寺の一寺として発しており、その設立は、現在より七百三年前の康安二年(一二七八年)と伝えられている。当時息障院の全盛期と相俟つてその繁栄を極めた当山ではあったが、明治維新の頃より無住寺となり、総てが当事者の管理となって現在に至っている。その間、部分的な修復、整備は行われはしたものの、墓地全体としての改修にまでは至らなかった。しかし時代の変遷に伴い、その必要性は以前にも増して現実的な問題となり、昭和五十六年八月二十五日墓地整備委員会が発足、その計画、施工に着手した。(境内石碑より)
薬王寺の周辺図