椙森神社|日本橋七福神、江戸三森、椙森稲荷
椙森神社の概要
椙森神社は、中央区日本橋堀留町にある神社です。椙森神社は、社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所といわれています。室町中期には江戸城の太田道灌が雨乞い祈願のために山城国伏見稲荷の伍社の神を勧請して厚く信仰した神社で、江戸時代には、江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集め、当たりくじ富興行も行われていたといいます。明治6年村社に列格したといいます。日本橋七福神の恵比寿神です。
社号 | 椙森神社 |
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祭神 | 五社稲荷大神、恵比寿大神 |
相殿 | 素盞鳴大神、大市姫大神、大己貴大神、四大神、恵比寿大神 |
境内社 | - |
住所 | 中央区日本橋堀留町1-10-2 |
備考 | 日本橋七福神の恵比寿神、江戸三森、椙森稲荷、富興行 |
椙森神社の由緒
椙森神社は、社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所といわれています。室町中期には江戸城の太田道灌が雨乞い祈願のために山城国伏見稲荷の伍社の神を勧請して厚く信仰した神社で、江戸時代には、江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集め、当たりくじ富興行も行われていたといいます。明治6年村社に列格したといいます。
中央区教育委員会掲示による椙森神社の由緒
椙森神社の創建は、社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所といわれています。
室町中期には江戸城の太田道灌が雨乞い祈願のために山城国伏見稲荷の伍社の神を勧請して厚く信仰した神社でした。そのために江戸時代には、江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集めました。
しばしば江戸城下等の火災で寺社が焼失し、その再建の費用のために有力寺社で当りくじである富興行が行われ、当社の富も人々に親しまれました。
明治維新後も、東京市中の古社として盛んに信仰されましたが、惜しくも関東大震災で全焼し、現在の社殿は昭和6年に耐震構造の鉄筋入りで再建されました。
境内には富塚の碑が鳥居の脇に立ち、当社で行われた富興行をしのんで大正8年に建てられたもので(昭和28年再建)で、富札も残されており、社殿と共に中央区民文化財に登録されています。(中央区教育委員会掲示より)
「中央区史」による椙森神社の由緒
椙森神社(日本橋堀留町一の五)維新後は一般神社の冠称を廃止したゝめ、一時単に稲荷神社とよび、その後明治九年に至り旧称に復した椙森神社と称し、明治六年村社に列せられた。震災後の昭和六年、耐火耐震コンクリート造延約七十坪の新社殿の落成をみたが、今次戦災にも損傷を免れ現在に至った。当社例祭は四月上旬卯の日であったがいつの頃よりか四月十五、十六日となり、更に明治八年から五月十五、十六日をもって祭事を執行することになった。このほか初午祭・節分祭・秋祭・隔年に神幸祭等の年中行事がとり行われる。氏子の堀留町一丁目・同二丁目・芳町一、二丁目・人形町二、三丁目西部並びに本町二丁目の一部にわたりほぼ千戸に達する。
合殿として恵比寿大神を奉斎するが、十月十九日、二十日に恵比寿神祭が行われる。境内富塚は富興行記念の碑であり、また社宝に俵藤太寄進、聖徳太子作と称する白銀狐像一寸八分、俵共二寸五分のものがある。(「中央区史」より)
東京都神社名鑑による椙森神社の由緒
承平元年(九三一)ころの創建にて、天慶三年(九四〇)俵藤太秀郷当社に祈願して平将門を亡ぼす。その報賓の証しとして白銀の狐像を奉納。くだって元文元年(一四六六)太田道港南乞して霊験があり、大いに喜びて稲荷山の大神を分霊して、椙森稲荷伍社大明神を祭る。以来五月十六日を祭日と定める。江戸時代には江戸三森の一つに数えられ、諸大名の崇敬者も多く、花相撲富興行等も数多く行なわれた。特に神道家吉川惟足の信心厚く、寛文元年(一六六一)伍社稲荷の一社なる大己貴大神の御託宣により、恵比寿大神を祭る。江戸時代は特に火災多く明暦三年(一六五七)の大火以後関東大震災まで二十数回におよんだ。大正十二年仮社殿社務所をたて、昭和六年九月には社殿・神楽殿・神輿庫・社務所・水舎・玉垣・鳥居等本建築の鉄骨鉄筋コンクリートけ造りにて整備した。昭和二十年三月の大空襲には社殿等すべてコンクリート造りが幸し、神社をはじめ氏子の大部分が焼失をまぬかれたのは神の御加護にはかならない。(東京都神社名鑑より)
椙森神社所蔵の文化財
- 椙森神社社殿(中央区登録文化財)
- 椙森神社富塚の碑(中央区登録文化財)
- 椙森神社 附 造営関係資料(中央区登録文化財)
- 椙森神社文書(中央区登録文化財)
椙森神社富塚の碑
当椙森神社は、遠く一千年の昔、未だ江戸が武蔵野の原と言われた時代の創建です。
江戸時代には江戸三森の一つであり、又江戸商人の発祥の地としても栄えてきましたが、神社が街の中心にあるため、江戸三富の一つにも数えられる程数多くの富籤が興行された事が記録に残されています。
この富興行は、江戸庶民の楽しみの一つであり、庶民の泣き笑いが今に思い浮かべることができます。この冨塚は庶民の心の記念として大正9年に建立されましたが、関東大震災に依って倒壊してしまいました。その後、富塚の話を知った氏子の人々は有志を募って、昭和28年11月に再建されたのがこの富塚です。
この富塚は、他に類を見ないと言われ、日本で唯一の物です。今日では宝くじの元祖として多くの人々が心中祈願をしているようです。
椙森神社の周辺図