七星山光徳院|御府内八十八カ所、山の手三十三観音、明治43年に当地へ移転
光徳院の概要
真言宗豊山派寺院の光徳院は七星山息災寺と号します。光徳院の創建年代等は不詳ながら、慶長11年(千代田区)二番町から市谷田町へ、寛永12年市ヶ谷柳町へ移転、開山は亮珎(寛永18年寂)だといいます。明治43年に当地へ移転しました。御府内八十八カ所霊場58番、山の手三十三観音霊場22番です。
山号 | 七星山 |
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院号 | 光徳院 |
寺号 | 息災寺 |
住所 | 中野区上高田5-18-3 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 御府内八十八カ所霊場58番、山の手三十三観音霊場22番 |
光徳院の縁起
光徳院の創建年代等は不詳ながら、慶長11年(千代田区)二番町から市谷田町へ、寛永12年市ヶ谷柳町へ移転、開山は亮珎(寛永18年寂)だといいます。
「牛込區史」による光徳院の縁起
七里山息災寺光徳院 護國寺末
元二番町に在り、慶長十一年市谷田町に移轉、寛永十二年柳町に移つた。開山亮珎、寛永十八年六月十七日寂。中興秀雄、寛永十九年十二月廿六日寂。舊境内古跡拝領地千三百三十坪餘、持添年貢地七百七十三坪。本尊千手観音は菅原道真の作といひ傳へる。(「牛込區史」より)
光徳院の周辺図