原市白山神社。上尾市原市の神社
原市白山神社の概要
原市白山神社は、上尾市原市にある神社です。原市白山神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には長久寺の境内社として記されており、長久寺は慶安年間(1648-1652)に一寺となったということから、江戸時代初期には祀られていたのではないかといいます。
社号 | 白山神社 |
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祭神 | 菊理姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 天王社、観音堂、不動堂 |
祭日 | - |
住所 | 上尾市原市3956 |
備考 | - |
原市白山神社の由緒
原市白山神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代初期に布教に来た白山の修験者が、越前加賀一宮白山比咩神社の分霊を当地に祀り創祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による原市白山神社の由緒
(原市村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「上尾の神社・寺院」による原市白山神社の由緒
不詳(「上尾の神社・寺院」より)
「埼玉の神社」による原市白山神社の由緒
<上尾市原市三九五六(原市字廿番耕地)>
鎮座地の原市は、江戸初期には原宿とも称し、岩槻から桶川へ向かう道を軸にして、菖蒲への道、大宮道、幸手道、上尾道などが交差する交通の要衝であった。『風土記稿』によれば、地名の由来は、かつて吉野領原村の内であった当地に市が立ったことによるという。
社殿の傍らにそびえる神木の欅は、樹齢三百年といわれる古木でその見事な枝振りは、境内の神さびた雰囲気を一層際立たせている。口碑によれば、創建は江戸初期に布教に来た白山の修験者が、越前加賀一宮白山比咩神社の分霊を、当地に祀ったことによるという。先に記した街道のうち幸手道は日光街道の脇往還で、白山の修験者は、この道筋を通って当地を訪れ、村人たちに白山比咩大神の神徳を説いたのであろう。
別当の妙厳寺は、比企郡市ノ川村曹洞宗永福寺末で、竜淵山と号し僧大洞存裔により永徳元年(一四八九)に開基されたという。
当社は、明治初年に無格社とされた。
境内の石造物で最も古いものは、宝暦十年(一七六〇)銘の稲荷社の石祠で、「願主原市村 半左右門 権兵衛 惣村中」と刻まれている。また、社頭に掛かる鰐口には、「文久三癸亥年(一八六三)三月吉日氏子中 世話人 川田治兵衛 川田弥五郎」の銘が刻まれている。(「埼玉の神社」より)
原市白山神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)