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上氷川神社。上尾市上の神社

上氷川神社の概要

上氷川神社は、上尾市上にある神社です。上氷川神社の創建年代等は不詳ながら、室町時代には既に創建していた龍山院の住僧が創建に関わっていたのではないかといいます。明治6年村社に列格、明治42年、村内大字上、久保、西門前、須ヶ谷、菅谷に所在する25社を合祀したといいます。

上氷川神社
上氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 神明社
祭日 -
住所 上尾市上454
備考 -



上氷川神社の由緒

上氷川神社の創建年代等は不詳ながら、室町時代には既に創建していた龍山院の住僧が創建に関わっていたのではないかといいます。明治6年村社に列格、明治42年、村内大字上、久保、西門前、須ヶ谷、菅谷に所在する25社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による上氷川神社の由緒

(上村)
氷川社
村内の鎮守にして、龍山院持。
末社。愛宕社、稲荷社、辨天社、青龍社、白山社、三峰社、天王社、疱瘡神社。

浅間社
神體は秘して見ることを許さず、村内来星院龍花院替る替る預れり。

熊野社
来星院持

稲荷社
天神社
神明社
以上三社龍花院持
(久保村)
稲荷社
村民の持なり。

能満寺
梅松山と號す、臨済宗、門前村小林寺末、本尊釋迦を安ぜり。

〇天神社
南・久保・門前三村の鎮守なり。

地蔵堂
村民の持。 (新編武蔵風土記稿より)

「上尾の神社・寺院」による上氷川神社の由緒

「新編武蔵風土記稿」に村内鎮守とし、「武蔵国郡村誌」に村社として記載があるが、詳細は不明。明治42年(1909)、村内大字上、久保、西門前、須ヶ谷、菅谷に所在する25社が当社を中心に合祀された。(「上尾の神社・寺院」より)

「埼玉の神社」による上氷川神社の由緒

氷川神社<上尾市上四五四(上字宮下)>
当地は芝川上流の大宮台地上に位置する。『風土記稿』によれば、古くは桶川に含まれていたが、いつのころか分村し、桶川宿の上(北)に位置するので上村と称したという。
当社は上村の南端の高台に鎮座し、北を真言宗竜山院と隣接する。境内西端にはかつて弁天池と称する湧水池があり、周囲に広がる田畑に水を引いていた。
一間社流造りの本殿正面の虹梁裏側に墨書で次のような旨が記されている。本殿は延宝元年(一六七三)十一月に竜山院の僧盛寿によって造立された。この時に、上州沼田の地頭□田伊賀守・上村・久保村・門前村・南村・桶河村から武運長久を祈って奉献があった。
この延宝元年が、当社創建の年代か否かは定かではないが、その立地から竜山院の僧により勧請されたのは間違いないと思われ、その際に田畑を潤す湧水池の脇が選ばれたのであろう。なお、竜山院は、徳賢律師の開山で、長禄元年(一四五七)に入寂と伝える。
『風土記稿』上村の項に当社は「氷川社 村内の鎮守にして、竜山院持、末社、愛宕社、稲荷社、弁天社、青竜社、白山社、三峰社、天王社、疱瘡神社」と載る。
明治に入り竜山院の手を離れた当社は、明治六年に村社となった。同四十年から四十三年の間に、村内に所在する二五社を合祀した。(「埼玉の神社」より)


上氷川神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)